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自分で好きな「戒名」を付けられないだろうか

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人間、年齢を重ねるにつれて、ゆかりの人や周りの人が亡くなってお葬式に参列する機会も増えてくる。まあ、寿命というものはそれぞれ与えられているものと言われ、誰しも終わりが来る。すべての人が永遠に楽しく生きられれば言うことはないが、そうもいかないし、永遠の命が幸せという保証もない。

 ところで、葬儀やら何やらにかかわるときに欠かせないのは、あの世で暮らすための「戒名」。もちろん、これはおおよそ仏教の話で、ほかの宗教は当てはまらない。だが、仏教で冠婚葬祭を行うことの多い日本では、たいてい「戒名」は付けるのがほとんど、とも言える。

戒名はたいてい、その人の死後にお寺さんが付けてくれるもの。位の高い名前はそれなりに高価、とか、いろいろ「ぶっちゃけ話」はある。そのあたりはさておいても、自分が感じるのは、好きな戒名を自分で自分に付けられないか、という。

 そうそう、時折聞く「生前戒名」。筆者もそういうコトバだけは聞いたことがある。調べてみると、いろいろ出てくる。

 例えば、武田信玄の「信玄」は、武田晴信の戒名だった、と言われるように、長尾景虎、上杉謙信などをはじめとする戦国武将の名前はたいてい戒名。というわけで、戦国武将は、戒名を持って戦地へ赴いたのだという。そもそも戒名とは仏教に帰依し、戒律を守る信徒の仏教界での法名で、生前戒名こそが正しい姿、とも言われることもある。いわゆる、キリスト教徒における、洗礼名(クリスチャンネーム)のようなもの、と考えるといいらしい。

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 まあそういったところ、いろんな意味で、自分の好きな「戒名」を付けておけたらいいかもなぁ、と思う今日このごろ。そうすれば自分が死んだ後、高い戒名料もいらない(かもしれない)し、その上好きな名前が選べるときたら、これは一石二鳥、しかもエコな話ではないだろうか、みたいな。

 半分「お遊び」感覚(半分マジ?)で、自分の戒名を考えておくのも悪くないと思うし、この世を戦場になぞらえ、戦国武将のように覚悟を決めて戒名を持って生きていくのもいいかもしれない。

 ただし、やはり功徳の高いお寺さんや僧正さんに名前を付けてもらったほうがありがたい、という考え方もあるし、代々付き合いのあるお寺さんとの関係を大事にしたい、という人も当然いると思う。そのような場合は、お寺さんや僧正さんにお願いして生前戒名を付けてもらうこともできるので、そういう選択もあり、ということは頭に入れておいてもらいたい。

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