「自覚は覚悟し己を知り、煩悩が何処から来るのかという因縁の道理について理解することである。そして仏法はただ言うだけではなく実行するものである。」佛光山を創設した星雲大師は大会において、日々の生活の中、常に信仰を高め自覚して仏の行いをするよう皆に説いた。
「命とは何でしょうか」大師はこのように説いた。自覚することで生命の真義を体現することが出来るのである。仏陀が菩提樹の下で宇宙の真理を悟ったのも「自覚」があってこそである。また今大会座談会に於いて佛光山都監院長を務める慧傳法師が「自覚」と「行仏」とは何かを大師に訊ねた。
星雲大師は次のように述べた。「自覚」の域に達するには、己の内なる心を徹底的に問い詰めて、その中から禅悦や法の喜びが溢れるのを肌身でもって感じることであるという。毎日の小さな悟りも日々を経てやがて一場の無上の悟りへ展開する。一方、仏法を理解しそれについて説くだけでは、仏陀が仏教を創立した本意とは違う。
星雲大師は言う「一尺分のことを話すことより、むしろ一寸分の行いをした方が尊い」と「行仏」の重要性を力説した。また大師は人を工場と例え、「身、口、意」の三業を生み出しているのだと述べた。よって我々の生活の中で好き事を行い、好き話をし、好き心を保つ、言わば三好運動自体が行仏である。
その他に、大師は我々に日々の生活の中で忍耐の心を学ぶように告げた。忍耐することは即ちただ我慢することではない。世の中の諸法を理解し、例えば、生、老、病、死を受け入れ、真っ向から立ち向うことを学び、智慧あふれ責任のある人とならなければならないと述べた。
星雲大師は最後に次の四点でもって皆を励ました。
一、自覚の心をもって自我を昇華させる。
二、世界各地域の風土に合う仏教を発展させる。
三、新たな事業で清浄たる財産を耕す。
四、発願で以って行仏を実践する。並びに自分自身が仏の化身であると自覚し、他の人達と共に仏の泉水が世界各地に注がれるよう精進に励む事である。
星雲法語
恩を知り、恩に報いる心があってこそ、人生は基本を得る。
是非の判断ができる知慧をもつ事ができてこそ、人生は安泰である。
臨済宗
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