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記事

論説

日本人の科学教信仰

Le 2014年7月25日,   Buddhachannel Japan

アメリカ人の半分近く、45%が、人間は1万年前、神によって現在の姿に作られたと信じているという。かれらは現在の人間がサルから進化したという科学的常識を否定するのである。(2004年11月ギャラップ調査)  メキシコでは、同じような調査は知らないが、おそらく45%という比率はグンと上がって、70%位には行くのではなかろうか?  かれらは90%までがカトリック信者で、キリスト教徒として洗礼を受け、日曜ごと教会へ行って神父の説教を聞き、伝統的な宗教習慣にのっとって生活している。成長して高等教育を受けるようになると、だんだん科学的に物事を見るようになり教会へも行かなくなるが、それは全体からすれば少数派だ。  さてそれでは日本人はどうかと言うと、9割近く自然科学的な進化論を信じているのではないかと思う。今、お寺の檀徒になっている人は人口の8割くらいだろうか。七五三とか元旦には、これまた80%以上の人たちがお宮参りをするそうだ。  仏教と神道(しんとう)をごちゃ混ぜにした信者が多そ 次の

ユーモア

Zem — Y’a d’la joie

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今週の記録

お茶と宗教(仏教、道教など)

中国茶の歴史でも書いてあった「茶興於唐、盛於宋」という説があり、唐の封演の『封氏聞見記』巻六によると:「開元中、泰山霊岩寺大興禅教。學禅務於不寐、又不夕食、唯許飲茶。人自懷 (...)


日本人は、昔から "思いやり"を大切にしてきました

人の心の温かさを感じられない、殺伐としたニュースが、毎日のように報道されています。


愛と思いやりに満ちた人生とスピリチュアリティの実践

わたしたちの人生におけるすべての苦悩の源はマインドにあります。わたしたちの人生に対する基本的な姿勢や思いこみが、世界において何を経験し、いかに交流するかということを方向づけ (...)


写真は、デー

par Buddhachannel Eng.


Evénements

「京の七夕」オール京都で開催 光るボールで天の川作る

京都府や京都市、京都仏教会などが8月6〜15日に京都市内の堀川と鴨川周辺で初めて開く新イベント「京の七夕」の実行委員会が29日、上京区内であった。参加者が堀川に光るボールを放流し「天の川」を創出するイベントなど詳細計画を決めた。  「京の七夕」は、春の「花灯路」と同様、「オール京都」体制で集客を目指す取り組み。堀川会場(一条戻橋-押小路橋)では、参加者がLED(発光ダイオード)を埋め込んだ光るボールを堀川に放流し「光の天の川」を演出するほか、放置竹林の竹と照明を組み合わせた全長80メートル巨大アーチなどのアート作品も展示する。  また、鴨川会場(御池大橋-四条大橋)では、伝統産業品とLEDを組み合わせた作品展示や友禅流しの実演などを行う。会場周辺の商店街などでも多彩な共催イベントを実施する。  全国から「願い」を集める「絵はがき短冊」も、26日時点で約1万6千枚販売され、夏の新しいイベン 次の


ヂィレクトリ

善光寺

善光寺縁起 552年、御本尊の一光三尊阿弥陀如来像が百済から日本へ伝えられる。(現存する日本最古の仏像) 642年、本尊が現在の地に遷座。 644年、本堂創建。 その後何度かの焼失をする。 1707年、現在の本堂完成。1953年、本堂が国宝に指定されている。 善光寺の御本尊、一光三尊阿弥陀如来像は、中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が一つの光背の中にお立ちになっています。欽明天皇の時代に百済の聖明王から献呈されたものだといわれる。 本田(本多)善光の手で飯田市の現在の「元善光寺」に遷座、その後642年(皇極天皇元年)に現在地に遷座したと伝えられる。644年(皇極天皇三年)に勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられた 宗派 善光寺は現在、天台宗(大勧進)と浄土宗(大本願)の住職が共に善光寺住職を兼ねる。 大勧進の住職は「貫主(かんす 次の

最後の著者

ジン

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Articles et Conférences

サンガはどのようなものであったか (二)

 また、サンガには全員が平等な資格で参加して、少数意見が最大限度に尊重される議決方法を取るから、非常に民主的な組織であったと考えられている。しかしながら常に全員一致を要求されるような組織は現実的に存在しうるであろうか。人が3、4人集まれば、なかなか話がまとまらないのが常であるから、それが15人もの、あるいは100人もの大集団になればなおさらである。  ということで、今私のもっているサンガのイメージは次のようなものである。  仏教には今風の「教団」というような概念は存在しなかった。それは別に不思議なことではなく、ヒンドゥー教でもイスラーム教でも、そういうものは存在したことはない。いわば精神的な紐帯によって繋がっているだけの話である。  お釈迦さんが亡くなったときに、主立った弟子たち500人が王舎城というところに集まって、お釈迦さんの教えをまとめる会議を行った。これは「結集(けつじゅう)」と呼ばれている。要するに「お釈迦さんの教えとはどういうものであったか」ということを議題にした羯磨を行ったわけである。これは今流にいう「仏教教団」としての行事で、したがって全仏教徒を拘束する効力を持っていたように考えられているが、実はそうでもないらしい。  プラーナという仏弟子があった。これも500人の弟子たちを引き連れて別のところを旅行してしたので、この会議のことを知らなかった。そこでこの会議に出 次の

Billet du jour

中道 中庸


  ジン


Textes fondamentaux

般若心経

『般若心経』は一般には600巻に及ぶ『大般若波羅蜜多経』の心髄を治むといわれているが、『大般若波羅蜜多経』(『大般若経』)及び『摩訶般若波羅蜜経』(『大品般若経』)からの抜粋に『陀羅尼集経』に収録されている陀羅尼(Skt:dhāranī)を末尾に付け加えたものである。般若経典群のテーマを「空」の1字に集約して、その重要性を説いて悟りの成就を讃える体裁をとりながら、末尾に付加した陀羅尼によって仏教の持つ呪術的な側面が特に強調されている。 般若心経の「心」とは、サンスクリットで心臓=重要な物を意味する「hṛdaya」(フリダヤ)の訳語であり、同時に呪(陀羅尼、真言)をも意味する語である。そのため、般若心経は空観を説く経典であるとされる一方、陀羅尼の経典であるともいわれている。一般に般若経典には、後期の密教化したものは別として、呪文などは含まれていない。それを考慮すると、『般若心経』は、般若経典としては極めて特異なものと言える。またサンスクリット・テキストの原題には経という語はないため、陀羅尼(総持)のために作られた唱文が、中国で経として扱われるようになったのではないかという説もある。 なお最古の経典目録(経録)で、東晋の釈道安撰『綜理衆経目録』(梁の僧祐撰『出三蔵記集』にほぼ収む)には、『摩訶般若波羅蜜神 次の


仏教

親鸞法要前に園児ら讃歌合唱

広島市安佐北区内の浄土真宗本願寺派の18寺でつくる安芸教区広島北組(きたそ)が4日、安佐北区民文化センターでイベントを開いた。来年4月から西本願寺(京都市)である親鸞の「750回大遠忌(だいおんき)法要」を前に、教えをあらためて学んだ。  門徒や各寺が運営する保育園・幼稚園の保護者約700人が参加した。広島北組の村上沢融(たくゆう)組長(67)は「『世のなか安穏なれ』と願う親鸞聖人の願いを受け止め、心豊かな家庭を築いてほしい」と説いた。園児約300人が、浄土真宗の教えを音楽にした「仏教讃歌(さんか)」15曲を歌った。  広島市中区出身のタレント島田洋七さんは「がばいばあちゃんの子育て論」をテーマに記念講演した。 【写真説明】浄土真宗の教えを歌う園児 中国新聞 から 次の

最後の記事

三法印

仏教の特徴をあらわす三つのしるし。 (1)諸行無常 あらゆるものは変化してやまない (2)諸法無我 いかなる存在も不変の本質を有しない (3)涅槃寂静 迷妄の消えた悟りの境地は静やかな安らぎである  諸行無常は、あらゆるものは絶えず変化してやまないことをいいます。『平家物語』の冒頭で有名です。 「祇園精舎の鐘のこゑ、諸行無常のひびきあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる者もひさしからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひにはほろびぬ、ひとへに風のまへのちりに同じ。」  諸法無我は、因縁によって生じたもので実体がないという意味であって、有我説のバラモン教に対して仏教は無我説を主張しました。常に同一の状態を保ち、自らを統制できる力をもつ「我 atman」は存在しないと仏教では考えます。また、無我は非我(我にあらず)というニュアンスがあるそうです。自分の命も、自分の財産も、すべて自分のもののようであって自分のものでない、因縁に翻弄され思うようにならない苦しみがつきまといます。  涅槃寂静は、仏教の理想の境地をいいます。無常であり、無我であるのが、ものの真実の姿で、それを認めないところに苦が生じるということになりますが、そのような迷妄が消えると、静 次の