Buddhachannel

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日本人の科学教信仰

Le 2015年1月16日

アメリカ人の半分近く、45%が、人間は1万年前、神によって現在の姿に作られたと信じているという。かれらは現在の人間がサルから進化したという科学的常識を否定するのである。(2004年11月ギャラップ調査)  メキシコでは、同じような調査は知らないが、おそらく45%という比率はグンと上がって、70%位には行くのではなかろうか?  かれらは90%までがカトリック信者で、キリスト教徒として洗礼を受け、日曜ごと教会へ行って神父の説教を聞き、伝統的な宗教習慣にのっとって生活している。成長して高等教育を受けるようになると、だんだん科学的に物事を見るようになり教会へも行かなくなるが、それは全体からすれば少数派だ。  さてそれでは日本人はどうかと言うと、9割近く自然科学的な進化論を信じているのではないかと思う。今、お寺の檀徒になっている人は人口の8割くらいだろうか。七五三とか元旦には、これまた80%以上の人たちがお宮参りをするそうだ。  仏教と神道(しんとう)をごちゃ混ぜにした信者が多そうだが、 次の

ユーモア

Zem — Émeute émotionnelle

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今週の記録

愛と思いやりに満ちた人生とスピリチュアリティの実践

わたしたちの人生におけるすべての苦悩の源はマインドにあります。わたしたちの人生に対する基本的な姿勢や思いこみが、世界において何を経験し、いかに交流するかということを方向づけ (...)


日本人は、昔から "思いやり"を大切にしてきました

人の心の温かさを感じられない、殺伐としたニュースが、毎日のように報道されています。


お茶と宗教(仏教、道教など)

中国茶の歴史でも書いてあった「茶興於唐、盛於宋」という説があり、唐の封演の『封氏聞見記』巻六によると:「開元中、泰山霊岩寺大興禅教。學禅務於不寐、又不夕食、唯許飲茶。人自懷 (...)


写真は、デー

par Buddhachannel Eng.


Evénements

「京の七夕」オール京都で開催 光るボールで天の川作る

京都府や京都市、京都仏教会などが8月6〜15日に京都市内の堀川と鴨川周辺で初めて開く新イベント「京の七夕」の実行委員会が29日、上京区内であった。参加者が堀川に光るボールを放流し「天の川」を創出するイベントなど詳細計画を決めた。  「京の七夕」は、春の「花灯路」と同様、「オール京都」体制で集客を目指す取り組み。堀川会場(一条戻橋-押小路橋)では、参加者がLED(発光ダイオード)を埋め込んだ光るボールを堀川に放流し「光の天の川」を演出するほか、放置竹林の竹と照明を組み合わせた全長80メートル巨大アーチなどのアート作品も展示する。  また、鴨川会場(御池大橋-四条大橋)では、伝統産業品とLEDを組み合わせた作品展示や友禅流しの実演などを行う。会場周辺の商店街などでも多彩な共催イベントを実施する。  全国から「願い」を集める「絵はがき短冊」も、26日時点で約1万6千枚販売され、夏の新しいイベントとし 次の


ヂィレクトリ

禅林寺(ぜんりんじ)

禅林寺は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである。 歴史 空海(弘法大師)の高弟である僧都・真紹が、都における実践道場の建立を志し、五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源である。真紹は仁寿3年(853年)、歌人・文人であった故・藤原関雄の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観5年(863年)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった。 次の

最後の著者


Articles et Conférences

中国禅宗の画期性

中国仏教の歴史をみるとき、いくつかの留意すべき点がある。中国の仏教がインドの仏教を追いかけ、一定のタイムラグをもってインドの仏教の流れに追随してきたのではない、ことはすでに何度も述べた。インドにおける大乗仏教の興起、中観、唯識、禅、密教などの新しい動きは、その都度中国の仏教の展開に大きなインパクトを及ぼしてきた。  インドにおいてはこうした動きは大きな節目をつくることなく仏教の流れに新たな流れを加えるようななだらかな変化をしていた。しかし、新しい流れが渡来僧によっていったん中国に持ち込まれると、中国仏教はそのたびに大きな節目を造った。  大乗仏教の興起は第一の仏教改革であった。それは、繁栄を誇るクシャン朝の時代、一世紀初頭のことであった。仏教の歴史を見ていると、もうひとつの大きな改革の流れがあった、ということができるのではないか。禅宗は、唐の最盛期の時代に生まれた。 『東アジアの仏教』第12巻 岩波講座 東洋思想 p22  禅宗は教外別伝と称して経典の背後にある仏心の伝授をもって任とし、坐禅の修習を通じて、自己の本性を開顕し(見性)、直ちに如来地に入ること(頓悟)を主張する。経に変えて、修行者の体験記録や問答が語録として重んぜられ、後には公安と呼ばれて工夫の手段とされたが、その表現 次の

Billet du jour

中道 中庸


によって ジン


Textes fondamentaux

ダンマパダ - 法句経(ほっくきょう)(12-26)

ダンマパダ-法句経 第12章- -第26章 第12章  (157) もし自己が愛しいものと知ったならば、 自己をよく護れ。 賢者は、 夜の三つの区分のうちの一つだけでも、 目ざめていなければならない。 第13章  (170) 世の中は泡のごとくであると見よ。 世の中は陽炎のごとくであると見よ。 世の中をこのように観る人は、 死王も彼を見ることはできない。 第14章  (183) 諸々の悪をなすなかれ。 衆の善につとめよ。 自らその心を清めよ。 これ諸仏の教えなり。 第15章  (201) 勝利すれば怨みを生じる。 敗れた人は苦しみ臥せる。 勝敗を捨てて安らぎを得た人は、 安らかに臥せる。 第16章  (210,211) 愛するものと会うな。 愛しないものとも会うな。 愛するものに会わないのも、 愛しないものに会うのも苦しい。 それゆえに愛するものを作るな。 愛するものを失うのは辛い。 愛するものも愛さないものもない人には、 わずらいがない。 第17章  (227) 過去にも言われている。 語らぬものも非難され、 多く語るものも非難され、 少し語るものも非難される。 世に非難されな 次の


仏教

韓国仏教

仏教がこの地に伝来されるや高句麗、新羅、百済の三国は其々国教として受け入れた。中でも新羅は三国統一の精神的原動力の基とし、これを成し遂げたのである。当時活躍した元暁、義相、慈蔵のような高僧たちは仏の教えをもって戦争と葛藤で悩んでいた民衆の心を癒すと共に、全国の名山に寺院を建立して仏の教えを広く伝播した。 統一新羅時代の仏教は文化的な面から発展を試みられた。仏国寺と石窟庵といった世界的な文化的遺産が造成される一方、無垢浄光陀羅尼経は、世界最初の木版印刷術を、清州興徳寺で印刷された直指心経要諦は、世界最初の金属印刷術を見せてくれた。そればかりではなく、この当時中国で隆盛であった参禅修行法が導入され、禅宗が発展して民族精神文化の新しい地平を開かれた。これは後、三国を統合して高麗を開国するのに思想的原動力となった。 高麗も同じく仏教を国教とし、韓民族の主体性を大いに高め、絢爛たる民族文化を発展させた。特に高麗王朝は、道詵国師の風水地理説の教えを取り入れて、全国の名山に寺院を建立して仏教を広めるのに大きな貢献を果たした。また八万大蔵経版を造成して周辺の外勢の絶えない侵略からの平和を祈願し、八関斎会や燃灯会といった祝祭によって国民統合を図った。 次の

最後の記事

お茶と仏教とロ・ヴー

中国茶だけでなく、日本茶や紅茶を勉強し始めると、まず必ずといって出てくるのが『日本にお茶が伝わった歴史』。お茶のルーツは中国にあり、唐への留学僧らが日本に持ち帰ったという話だ。 「お茶と仏教の繋がり」お茶について調べていくと避けては通れない道なのだ。つい最近も、お茶について調べようと思うと仏教が切り離せないという話をしたら「違う。仏教にお茶がくっついて日本に来たの」だと訂正をされてしまった。そうです。お相手はお坊さまでした。 ロ・ヴーは、千種区の覚王山という場所にある。目印は日泰寺(にったいじ)という超宗派の大きなお寺。『覚王』とはお釈迦様の別名で、この日泰寺はお釈迦様の遺骨、つまり仏舎利を安置するために創建された、非常に由緒正しきお寺なのだ。ちなみに『日泰』は日本とタイ王国のことを表している。 この季節は、普段は静かな日泰寺周辺も賑やかになる。まずは「涅槃会(ねはんえ)」。これはお釈迦様の入滅(旧暦2月15日)の日の、報恩のための法要が営まれる。最近では3月15日に行われるようだ。そして、4月8日の花祭。お釈迦様の誕生をお祝いす行事で「灌仏会(かんぶつえ)」という。「甘茶を飲む日」と思っている人もいるのでは? そしてもう一つ。お釈迦様関係ではないものの、お茶には非常に縁の深い弘 次の