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論説

日本人の科学教信仰

Le 2014年12月19日,   Buddhachannel Japan

アメリカ人の半分近く、45%が、人間は1万年前、神によって現在の姿に作られたと信じているという。かれらは現在の人間がサルから進化したという科学的常識を否定するのである。(2004年11月ギャラップ調査)  メキシコでは、同じような調査は知らないが、おそらく45%という比率はグンと上がって、70%位には行くのではなかろうか?  かれらは90%までがカトリック信者で、キリスト教徒として洗礼を受け、日曜ごと教会へ行って神父の説教を聞き、伝統的な宗教習慣にのっとって生活している。成長して高等教育を受けるようになると、だんだん科学的に物事を見るようになり教会へも行かなくなるが、それは全体からすれば少数派だ。  さてそれでは日本人はどうかと言うと、9割近く自然科学的な進化論を信じているのではないかと思う。今、お寺の檀徒になっている人は人口の8割くらいだろうか。七五三とか元旦には、これまた80%以上の人たちがお宮参りをするそうだ。  仏教と神道(しんとう)をごちゃ混ぜにした信者が多そ 次の

ユーモア

Zem — Action ou Vérité ?

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今週の記録

お茶と宗教(仏教、道教など)

中国茶の歴史でも書いてあった「茶興於唐、盛於宋」という説があり、唐の封演の『封氏聞見記』巻六によると:「開元中、泰山霊岩寺大興禅教。學禅務於不寐、又不夕食、唯許飲茶。人自懷 (...)


日本人は、昔から "思いやり"を大切にしてきました

人の心の温かさを感じられない、殺伐としたニュースが、毎日のように報道されています。


愛と思いやりに満ちた人生とスピリチュアリティの実践

わたしたちの人生におけるすべての苦悩の源はマインドにあります。わたしたちの人生に対する基本的な姿勢や思いこみが、世界において何を経験し、いかに交流するかということを方向づけ (...)


写真は、デー


Evénements

「京の七夕」オール京都で開催 光るボールで天の川作る

京都府や京都市、京都仏教会などが8月6〜15日に京都市内の堀川と鴨川周辺で初めて開く新イベント「京の七夕」の実行委員会が29日、上京区内であった。参加者が堀川に光るボールを放流し「天の川」を創出するイベントなど詳細計画を決めた。  「京の七夕」は、春の「花灯路」と同様、「オール京都」体制で集客を目指す取り組み。堀川会場(一条戻橋-押小路橋)では、参加者がLED(発光ダイオード)を埋め込んだ光るボールを堀川に放流し「光の天の川」を演出するほか、放置竹林の竹と照明を組み合わせた全長80メートル巨大アーチなどのアート作品も展示する。  また、鴨川会場(御池大橋-四条大橋)では、伝統産業品とLEDを組み合わせた作品展示や友禅流しの実演などを行う。会場周辺の商店街などでも多彩な共催イベントを実施する。  全国から「願い」を集める「絵はがき短冊」も、26日時点で約1万6千枚販売され、夏の新しいイベン 次の


ヂィレクトリ

浅草寺について

浅草寺縁起(由来) 時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。  大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。  広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。   (...) 次の

最後の著者

ジン

 次の


Articles et Conférences

パーリ語聖典

経は釈迦や、弟子たちの言行録を集めたもの。釈迦の入滅後、教えを正しく伝えるために、弟子たちは経典編集の集会(結集(けつじゅう))を開き、経典整理を開始した。  ところが、仏滅後100〜200年ころには教団は多くの部派に分裂し、それぞれの部派が各自の三蔵を伝持するようになった。それらはインドの各地の言語によっていたと思われる。完全な形で現存するのは、スリランカに伝えられた上座部系のパーリ語経典のみで、現在、スリランカ、タイ、ミャンマーなど東南アジアの仏教国で広く用いられている。その内容は次の通りである。 律蔵 経分別(戒律の本文解説)、犍度(けんど、教団の制度規定)、付録。 経蔵 長部、中部、相応部、増支部、小部の5部。 前4部は漢訳『阿含経 (あごんきよう)』に相当する。 論蔵 法集論、分別論、界説論、人施設論、論事論、双対論、発趣論の7部。  これらは前二〜前一世紀ころまでに徐々に形成されたもので、前一世紀ころにスリランカに伝えられたといわれ、以後、多くの蔵外の注釈書、綱要書、史書等が作られた。十九世紀末ロンドンにパーリ聖典協会(Pali Text Society)が設立されて原典の校訂出版等がなされ、日本では若干の蔵外文献も含めて『南伝大蔵経 』65巻に完訳されている。  注意が必要なのは、パーリ語 次の

Billet du jour

中道 中庸


  ジン


Textes fondamentaux

上善若水(老子)

『老子』の第八にあります。 上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し 水は善(よ)く万物を利(り)して而(しか)も争(あらそ)わず 衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る 故(ゆえ)に道に幾(ちか)し 「上善」とは最上の善、ここでは最上の善をそなえた人、即ち道に達した人。「衆人の悪む所」とは多くの人が皆な嫌がる所、即ち水が落ち込む場所。「道」とは老子の教えの中で云う、万物の本源的なもの、即ち万物の真実です。禅で云えば究極の悟りです。 道に達した人は水のようなものです。水は巧みに、すべてのものに恵みを施し、しかもすべてのものと争わず、多くの人々が嫌う場所に好んで就こうとします。まさに水こそ「道」の本源であると云うわけです。「上善は水の若し」とよく政治家が揮毫(きごう)しますが、恐らく政治は弱き者(衆人の悪む所)の味方だと云うのでしょうか。 また、水は四角の器に入れば四角に、丸い器に入れば丸に、自由自在に柔軟性を発揮してそのものに成りきります。しかも、四角から丸に移したからと云って、四角の角は残しません。優れた禅者も何時、 何処(どこ)、何事においても、その場その場の境に成りきって、跡を引きません。怒る時は徹底怒る、悲しむ時は徹底悲しむ、仕事の時は徹底仕事、遊ぶ時には徹底遊ぶ、その辺の消 次の


仏教

「日本は利川五層石塔を返還せよ」曹渓宗も加勢

日帝強占期に奪われた京畿道利川(キョンギド・イチョン)五層石塔還収運動に仏教界が協力することにした。利川五層石塔還収委員会(委員長イ・サング利川文化院長)は来週、チャ・スン曹渓宗総務院長に会って石塔還収運動に曹渓宗次元の支援を要請する計画だ。 キム・ナヤン還収委事務局長は8日「総務院長の僧侶にお会いして還収委に曹渓宗が参加する案を論議する」とし「曹渓宗が参加すれば韓日仏教交流協会次元で大倉文化財団側に石塔返還を公式要求する可能性が高く、いつになく見通しが明るい」と述べた。還収委は21日、日本現地に渡って石塔を保管している大倉文化財団と公式返還交渉をする予定だ。 利川五層石塔は高さ6.48メートルで11世紀高麗初期に利川郷校近くに建立された。1915年、朝鮮総督府が景福宮で開催した博覧会場に利川安興寺址五層供養塔とともに持って行った。3年後の1918年、日本商人大倉喜八郎が朝鮮総督府の許可を受けて仁川港を通じて日本に搬出した。 中央日報 より !--// ![CDATA[ var m3_u = (location.protocol=='https:'?'https://www.buddhachannel.tv/openads/www/delivery/ajs.php':'http://www.buddhachannel.tv/openads/www/delivery/ajs.php'); var m3_r = (...) 次の

最後の記事

懺悔文

我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身口意之所生 一切我今皆懺悔 只今、「懺悔文」をお唱えしました。毎日の生活を円満に過ごすためには、どうしても犯してしまう悪業があります。「嘘」はその一つではないでしょうか。あげればきりがありませんが、自分が気づかないうちに多くの罪を犯しているのです。それに気づいて反省することは、そう簡単なことではありません。しかし、その罪に気づいたら仏さまの前に懺悔するほかありません。ですから、先ず自分自身に対して「懺悔文」を最初に唱えさせていただきました。 自分自身を冷静に見つめ、気づいたことに反省と謙虚さがあるのではないでしょうか。同じことを二度と繰り返さないように誓う“こころ”が生まれます。私たちには、誰でも過失があります。思い違いもあります。しかし、それらをそのままにしておかないで改めるために「懺悔文」があります。 「懺悔文」では、諸々の悪業は全て貪瞋癡に由る。身口意より生ずる。といっています。たとえば、「嘘」を例にあげると、嘘という言葉に決して良い印象はありませんが、慶応大学の檜谷明彦教授は、日本人のつく「嘘」を三つに分けて説明しています。 一、自分が属している集団への忠誠心から出る嘘。 二、自分一人の利益を得るための嘘。 三、お 次の