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論説

日本人の科学教信仰

Le 2014年10月17日,   Buddhachannel Japan

アメリカ人の半分近く、45%が、人間は1万年前、神によって現在の姿に作られたと信じているという。かれらは現在の人間がサルから進化したという科学的常識を否定するのである。(2004年11月ギャラップ調査)  メキシコでは、同じような調査は知らないが、おそらく45%という比率はグンと上がって、70%位には行くのではなかろうか?  かれらは90%までがカトリック信者で、キリスト教徒として洗礼を受け、日曜ごと教会へ行って神父の説教を聞き、伝統的な宗教習慣にのっとって生活している。成長して高等教育を受けるようになると、だんだん科学的に物事を見るようになり教会へも行かなくなるが、それは全体からすれば少数派だ。  さてそれでは日本人はどうかと言うと、9割近く自然科学的な進化論を信じているのではないかと思う。今、お寺の檀徒になっている人は人口の8割くらいだろうか。七五三とか元旦には、これまた80%以上の人たちがお宮参りをするそうだ。  仏教と神道(しんとう)をごちゃ混ぜにした信者が多そ 次の

ユーモア

Zem — « Arthur ! Réfléchis, nom de d’là ! Ça a une certaine importance… » (Boris Vian)

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今週の記録

お茶と宗教(仏教、道教など)

中国茶の歴史でも書いてあった「茶興於唐、盛於宋」という説があり、唐の封演の『封氏聞見記』巻六によると:「開元中、泰山霊岩寺大興禅教。學禅務於不寐、又不夕食、唯許飲茶。人自懷 (...)


日本人は、昔から "思いやり"を大切にしてきました

人の心の温かさを感じられない、殺伐としたニュースが、毎日のように報道されています。


愛と思いやりに満ちた人生とスピリチュアリティの実践

わたしたちの人生におけるすべての苦悩の源はマインドにあります。わたしたちの人生に対する基本的な姿勢や思いこみが、世界において何を経験し、いかに交流するかということを方向づけ (...)


写真は、デー


Evénements

「京の七夕」オール京都で開催 光るボールで天の川作る

京都府や京都市、京都仏教会などが8月6〜15日に京都市内の堀川と鴨川周辺で初めて開く新イベント「京の七夕」の実行委員会が29日、上京区内であった。参加者が堀川に光るボールを放流し「天の川」を創出するイベントなど詳細計画を決めた。  「京の七夕」は、春の「花灯路」と同様、「オール京都」体制で集客を目指す取り組み。堀川会場(一条戻橋-押小路橋)では、参加者がLED(発光ダイオード)を埋め込んだ光るボールを堀川に放流し「光の天の川」を演出するほか、放置竹林の竹と照明を組み合わせた全長80メートル巨大アーチなどのアート作品も展示する。  また、鴨川会場(御池大橋-四条大橋)では、伝統産業品とLEDを組み合わせた作品展示や友禅流しの実演などを行う。会場周辺の商店街などでも多彩な共催イベントを実施する。  全国から「願い」を集める「絵はがき短冊」も、26日時点で約1万6千枚販売され、夏の新しいイベン 次の


ヂィレクトリ

銀閣寺 (慈照寺)

慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、室町時代後期に栄えた東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)。 正式名は東山慈照寺。山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。寺紋は五七桐および二つ引両。 足利義政が鹿苑寺の金閣舎利殿を模して造営した楼閣建築である観音殿は「銀閣」、観音殿を含めた寺院全体は「銀閣寺」として知られる。 室町幕府8代将軍足利義政は、1473年(文明5年)、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、 1482年(文明14年)から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。 当時は応仁の乱が終わった直後で、京都の経済は疲弊していた 次の

最後の著者

Buddhachannel Japan

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Articles et Conférences

法句経(真理の言葉)

1. Mind precedes all mental states. Mind is their chief; they are all mind-wrought. If with an impure mind a person speaks or acts suffering follows him like the wheel that follows the foot of the ox. 心は全ての精神的状態に先行し、心が全ての主で全ては心の作ったものである。 若し穢れた心で人が話し、若しくは行動すると、牛の足跡を(牛が引く荷馬車の)車輪が追いかける様に苦悩がその人を追いかける。 Phenomena are preceded by the heart, ruled by the heart, made of the heart. If you speak or act with a corrupted heart, then suffering follows you — as the wheel of the cart, the track of the ox that pulls it. 2. Mind precedes all mental states. Mind is their chief; they are all mind-wrought. If with a pure mind a person speaks or acts happiness follows him like his never-departing shadow 心は全ての精神的状態に先行し、心が全ての主で全ては心の作ったものである。 (...) 次の

Billet du jour

中道 中庸


  ジン


Textes fondamentaux

帰依文

弟子某甲 尽未来際 帰依仏        一心頂礼十方法界常住仏 帰依法        一心頂礼十方法界常住法 帰依僧        一心頂礼十方法界常住僧  人身受け難し、今己に受く、 仏法聞き難し、今己に受く、  この身今生に於いて度せずんば、 更に何れの生に於いてかこの身  を度せん。大衆諸共に、至心に 三宝に帰依し奉るべし。  自ら仏に帰依し奉る。当に願わくは衆生と共に、大道を体解して無上意を発さむ。  自ら法に帰依し奉る。当に願わくは衆生と共に、深く経蔵に入りて、智慧海の如くならむ。  自ら僧に帰依し奉る。当に願わくは衆生と共に、大衆を統理して、一切無礙ならむ。 sakai.zaq.ne.jp/piicats/kiemon.htm から 次の


仏教

三昧(さんまい)

 Samādhi という語は、インドの瞑想の伝統の中で培われたものであり、仏教だけでなく、共通の背景を持つヒンドゥー教・ヨーガの用語としても用いられている。 仏教の阿含経典では、この三昧に至る過程には、まず初禅から第四禅までの4段階があるとする。続いて空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処の4段階があるとする。前の4つを「四静慮(四禅)」、後の4つを「四無色定」としている。さらに深まった状態として「心のあらゆる動きが全く止滅した状態(滅尽定)」があるとしており、以上9の段階を「九次第定」と数えている。  以上の過程は、三界(欲界・色界・無色界)の階層構造とも関連している。上記の過程を通して、欲界(欲望を原理とする日常意識)は「散地」となる。色界は、初禅天・第二禅天・第三禅天・第四禅天の階層に分かれてゆく。無色界は空無辺処天・識無辺処天・無所有処天・非想非非想処天の階層(四無色定天)に分かれてゆくのである。それらは三界九地の階層をなすことになる。  釈迦の得た悟りというのは、この四無色定天をも超えた何らかの境地にあると後の人々から理解されている。仏典によれば、釈迦は出家してすぐに無所有処と非想非非想処の境地に到達したが、そこで満足せず苦行を行い、さらに苦行を捨てて新しい行法を求めた、という 次の

最後の記事

本膳料理

鎌倉時代、武家の間には「椀飯」という正月に御家人から将軍に料理を献上する儀式があった。当初は鯉一匹など簡単な物であったが、室町時代になり武家の経済的政治的優位が確立し、幕府政治の本拠地も公家文化の影響が深い京に移るに至って、料理の品数も増え、料理自体にも派手な工夫が凝らされるようになった。特に室町幕府の将軍を接待する「御成」が盛んになってからは次第に宴会料理の形式が整えられていった。ここに本膳料理が成立したと考えられる。 式三献、雑煮、本膳、二の膳、三の膳、硯蓋からなり、大規模な饗宴では七の膳まであったとの記録もある。ただし、特徴的なのはこうした膳の多くが「見る」料理であり、実際に食べる事ができる料理は決して多くは無かった。この本膳料理は少なからず儀礼的な物であり、この後に能や狂言などの演技が行われつつ、後段と呼ばれるうどんや素麺といった軽食類や酒肴が出されて、ここで本来の意味での酒宴になった。なかには三日近く行われた宴もあったようだ。 献立としては一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、二汁七菜、三汁五菜、三汁七菜、三汁十一菜などがあったとされる 次の