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記事

論説

日本人の科学教信仰

Le 2014年10月24日,   Buddhachannel Japan

アメリカ人の半分近く、45%が、人間は1万年前、神によって現在の姿に作られたと信じているという。かれらは現在の人間がサルから進化したという科学的常識を否定するのである。(2004年11月ギャラップ調査)  メキシコでは、同じような調査は知らないが、おそらく45%という比率はグンと上がって、70%位には行くのではなかろうか?  かれらは90%までがカトリック信者で、キリスト教徒として洗礼を受け、日曜ごと教会へ行って神父の説教を聞き、伝統的な宗教習慣にのっとって生活している。成長して高等教育を受けるようになると、だんだん科学的に物事を見るようになり教会へも行かなくなるが、それは全体からすれば少数派だ。  さてそれでは日本人はどうかと言うと、9割近く自然科学的な進化論を信じているのではないかと思う。今、お寺の檀徒になっている人は人口の8割くらいだろうか。七五三とか元旦には、これまた80%以上の人たちがお宮参りをするそうだ。  仏教と神道(しんとう)をごちゃ混ぜにした信者が多そ 次の

ユーモア

Zem — Rêve éveillé

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今週の記録

お茶と宗教(仏教、道教など)

中国茶の歴史でも書いてあった「茶興於唐、盛於宋」という説があり、唐の封演の『封氏聞見記』巻六によると:「開元中、泰山霊岩寺大興禅教。學禅務於不寐、又不夕食、唯許飲茶。人自懷 (...)


日本人は、昔から "思いやり"を大切にしてきました

人の心の温かさを感じられない、殺伐としたニュースが、毎日のように報道されています。


愛と思いやりに満ちた人生とスピリチュアリティの実践

わたしたちの人生におけるすべての苦悩の源はマインドにあります。わたしたちの人生に対する基本的な姿勢や思いこみが、世界において何を経験し、いかに交流するかということを方向づけ (...)


写真は、デー


Evénements

「京の七夕」オール京都で開催 光るボールで天の川作る

京都府や京都市、京都仏教会などが8月6〜15日に京都市内の堀川と鴨川周辺で初めて開く新イベント「京の七夕」の実行委員会が29日、上京区内であった。参加者が堀川に光るボールを放流し「天の川」を創出するイベントなど詳細計画を決めた。  「京の七夕」は、春の「花灯路」と同様、「オール京都」体制で集客を目指す取り組み。堀川会場(一条戻橋-押小路橋)では、参加者がLED(発光ダイオード)を埋め込んだ光るボールを堀川に放流し「光の天の川」を演出するほか、放置竹林の竹と照明を組み合わせた全長80メートル巨大アーチなどのアート作品も展示する。  また、鴨川会場(御池大橋-四条大橋)では、伝統産業品とLEDを組み合わせた作品展示や友禅流しの実演などを行う。会場周辺の商店街などでも多彩な共催イベントを実施する。  全国から「願い」を集める「絵はがき短冊」も、26日時点で約1万6千枚販売され、夏の新しいイベン 次の


ヂィレクトリ

天台大師さま

今から1400年前〈西暦597年11月24日〉、中国のお釈迦さまといわれた偉大な宗教家が亡くなられました。天台大師智顗(ちぎ)禅師です。聖徳太子が「日出づるところの天子、日没するところの天子に書を致す。つつがなきや」という有名な国書を送った相手である隋の煬帝から深く尊敬され、「智者」の名を贈られたので智者大師というのが正式な呼び名です。しかし中国の浙江省にある天台山で修行され、天台山で亡くなられたので、天台大師と親しまれております。天台とは、天帝が住んでいる天の紫微宮(しびきゅう)〈北極星を中心とした星座〉を守る上台、中台、下台の三つの星を意味し、昔から天台山は聖地として信仰されていました。 天台大師は、日本に仏教が伝えられた西暦538年に生まれ、誕生のときに家が輝いたので光道と名づけられました。七歳の頃には喜んでお寺に通い、一度観音経を聞いただけで覚えてしまったといいます。十八歳で出家すると、当時有 次の

最後の著者

Yamada Yuji

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Articles et Conférences

大乗仏教は仏説か (二)

 聖書やコーランは、絶対唯一の神の言葉を記したものであるから永遠不変である。そこでキリスト教やイスラム教が現実に対応するためには、聖書やコーランの言葉の解釈を変えるしか方法がない。こうして解釈学というものが生まれてきたわけであるが、仏教では新しい経典を制作することによって、現実に対応してきたのである。だから本来なら21世紀の日本には、その現実に即応した新しい経典が生まれるべきなのである。ところがこのよき伝統が中国において失われてしまったので、中国や日本では祖師たちの著作がこれに代わる役割を担うことになった。  仏教はこういう構造を持っているのであるから、仏は次から次へと生まれてこなければならない。もし仏が生まれてこないなら、仏教が生成躍動する活動をしてないという証拠なのである。そしてこのような考え方は釈迦仏教も大乗仏教も変わらないから、釈迦仏教には過去にたくさんの仏が存在したことが前提になっているし、大乗仏教には同時にたくさんの仏が登場するのである。  仏教徒であることの最低の条件は「仏」と「法」と「僧」の三宝に帰依することとされる。この三宝帰依は、釈尊成道の直後に仏教信者になったタプッサとバッリカという2人の商人が、「仏」と「法」に帰依したことに淵源があるが、この「仏」は燃灯仏のもとで初発心して諸々の仏のもとで修行して仏になった釈迦牟尼仏であり、「法」はこの仏に必然的に 次の

Billet du jour

中道 中庸


  ジン


Textes fondamentaux

妙法蓮華経 序品 第一

釈尊の教えを聴くため、多くの比丘衆、菩薩、バラモンの神々、鬼神、人間たちが王舎城の耆闍崛山(霊鷲山)に参集している。 一萬二千人の比丘衆(大声聞) 二千人の学・無学の比丘 六千人の比丘尼 八萬人の菩薩 帝釈天とその眷族の二萬人の天子 四天王とその眷族一萬人 自在天子、大自在天子とその眷族三萬人 梵天王と凡転移属する一萬二千人の天子 八龍王と百千億の眷族である龍たち 緊那羅の四王と百千億の眷族 阿修羅の四王と百千億の眷族 迦楼羅の四王と百千億の眷族 マガダ国王の阿闍世王。 釈尊は、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に取り巻かれ、恭敬され、供養され、讃嘆された。釈尊は、菩薩に対する教えで、一切の諸佛の護持する大乗の無量義の教えを説く。そして釈尊は無量義の教えを説き終わると、無量義処三昧に入る。 その時、空からは美しい花々が佛のみ上に、すべての人々の上にも降り注ぎ、大地も感動に震え動き出す。そして、佛の眉間にある白い渦毛から白毫相より一条の光が放たれる。 その光は、東方の一萬八千の佛国土に普くおよび、すべての国土は、その光明の輝きによって照らし出された。この白毫相の光によって、すべての世界の様子が手に取るように見えてくる。その世に出現している諸佛の姿も見え、その諸佛 次の


仏教

遣唐船の航路

第1回の遣唐使の派遣は630年、大使は犬上御田鍬。ちなみにこの大使は、614年の遣隋使の大使でもある。遣唐使の航路としては、一般的に北路、南島路、南路の三種類があるとされている。  北路は、初期に用いられた航路で、博多を出てから壱岐、対馬を経由し、そこから朝鮮半島の西岸沿いの百済・新羅の領海をしばらく北上し、途中から高句麗領を避けるために黄海を横断して山東半島に上陸する、というルートだった。7世紀の遣唐使のほとんどは、陸伝いでいちばん安全と考えるこのルートを辿っていた。朝鮮半島の統一後に新羅との関係が悪化したので、徐々に他のルートに替わってゆく。  南島路は、8世紀初頭から中頃までの遣唐使が採ったと考えられていたルートで、九州から南西諸島伝いに屋久、奄美、沖縄、石垣などの島々を伝って南下し、そこから東シナ海を突っ切って揚子江の河口地帯に向かうというものである。このルートは従来の北路と所要時間としてはほぼ同じだったが、外海を突っ切っていることから、この頃から遣唐使船の遭難率は上昇し始めている。  これらのルートを経て、最終的に後期の遣唐使が採ったのが南路である。このルートは、博多を出た後に五島列島に寄港し、そこから一気に東シナ海を突っ切るルートであり、上手く行けば航海期間をかなり 次の

最後の記事

坐禅とは

そもそも坐禅は,釈尊(しゃくそん)が現実にその人生を生きられた紀元前5世紀頃、釈尊の偉大な努力によって、人間が古代インドにおいて広く行われていたヨガと呼ばれる修行法の中から、半迦夫坐(はんがふざ)および結迦夫坐(けっかふざ)(編集注1)と呼ばれる坐り方を採用して、仏道における中心的な修行法としたことに始まる。 (編集注1)西嶋師は、半迦夫坐と結迦夫坐の漢字表現は、現在におけるコンピューターの表現能力に、一致させて差し支えないと考えている。なお、具体的な半迦夫坐と結迦夫坐の足の組み方は当連載の5回目以降に解説する予定。 したがって、それ以後、大乗仏教の盛んな竜樹尊者(りゅうじゅそんじゃ編集注2)の時代や、達磨大師が中国に渡られた時代には、いずれも、この半迦夫坐(はんがふざ)や結迦夫坐(けっかふざ)を中心として,仏道修業が行なわれた。 (編集注2)150〜250年頃の南インドのバラモン出身の僧。小乗仏教から後に大乗仏教に転じ、空(くう)の思想を説いた。中観派の祖。また、中国・日本の諸宗はすべて竜樹の思想を承けているので、八宗の祖という。著「中論」「十二門論」「大智度論」など。  しかし、それと同時に、この半迦夫坐(はんがふざ)や結迦夫坐(けっかふざ 次の