Buddhachannel

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日本人の科学教信仰

Le 2015年4月24日

アメリカ人の半分近く、45%が、人間は1万年前、神によって現在の姿に作られたと信じているという。かれらは現在の人間がサルから進化したという科学的常識を否定するのである。(2004年11月ギャラップ調査)  メキシコでは、同じような調査は知らないが、おそらく45%という比率はグンと上がって、70%位には行くのではなかろうか?  かれらは90%までがカトリック信者で、キリスト教徒として洗礼を受け、日曜ごと教会へ行って神父の説教を聞き、伝統的な宗教習慣にのっとって生活している。成長して高等教育を受けるようになると、だんだん科学的に物事を見るようになり教会へも行かなくなるが、それは全体からすれば少数派だ。  さてそれでは日本人はどうかと言うと、9割近く自然科学的な進化論を信じているのではないかと思う。今、お寺の檀徒になっている人は人口の8割くらいだろうか。七五三とか元旦には、これまた80%以上の人たちがお宮参りをするそうだ。  仏教と神道(しんとう)をごちゃ混ぜにした信者が多そうだが、 次の

ユーモア

Zem — Le cœur à l’envers

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今週の記録

愛と思いやりに満ちた人生とスピリチュアリティの実践

わたしたちの人生におけるすべての苦悩の源はマインドにあります。わたしたちの人生に対する基本的な姿勢や思いこみが、世界において何を経験し、いかに交流するかということを方向づけ (...)


日本人は、昔から "思いやり"を大切にしてきました

人の心の温かさを感じられない、殺伐としたニュースが、毎日のように報道されています。


お茶と宗教(仏教、道教など)

中国茶の歴史でも書いてあった「茶興於唐、盛於宋」という説があり、唐の封演の『封氏聞見記』巻六によると:「開元中、泰山霊岩寺大興禅教。學禅務於不寐、又不夕食、唯許飲茶。人自懷 (...)


写真は、デー


Evénements

「京の七夕」オール京都で開催 光るボールで天の川作る

京都府や京都市、京都仏教会などが8月6〜15日に京都市内の堀川と鴨川周辺で初めて開く新イベント「京の七夕」の実行委員会が29日、上京区内であった。参加者が堀川に光るボールを放流し「天の川」を創出するイベントなど詳細計画を決めた。  「京の七夕」は、春の「花灯路」と同様、「オール京都」体制で集客を目指す取り組み。堀川会場(一条戻橋-押小路橋)では、参加者がLED(発光ダイオード)を埋め込んだ光るボールを堀川に放流し「光の天の川」を演出するほか、放置竹林の竹と照明を組み合わせた全長80メートル巨大アーチなどのアート作品も展示する。  また、鴨川会場(御池大橋-四条大橋)では、伝統産業品とLEDを組み合わせた作品展示や友禅流しの実演などを行う。会場周辺の商店街などでも多彩な共催イベントを実施する。  全国から「願い」を集める「絵はがき短冊」も、26日時点で約1万6千枚販売され、夏の新しいイベントとし 次の


ヂィレクトリ

もうつうじ (毛越寺)

850年(嘉祥3年)慈覚大師(じかくだいし)が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われて行く手判らず、前に進めなくなったとき足元に 白鹿の毛が落ちていた。不思議に思いその毛をたどると前方に白鹿がうずくまってい る。大師が近づいて行くと、白鹿の姿は消えて一人の白髪の老人が現れ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げた。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と思い、 一宇の堂を建立した。これが毛越寺の起こりとされる。 (パンフレット参照)  869年(貞観十一年)正月、清和天皇の勅により、北門鎮護の御願寺となり、中堂は創建の年号に因み嘉祥寺(かしょうじ)と号した。 その後一時荒廃するも、堀河天皇の長治年間(1104-6)、時の領主藤原清衡、基衡父子によって再興される。藤原二代基衡により建立された堂塔は、 金堂(円隆寺)、講堂、経蔵、常行堂、吉祥堂、千手堂、観自在王院など中尊寺をはるかに凌ぐ大寺院 となる。だが、たびかさなる火災で全て 次の

最後の著者

ジン

 次の


Articles et Conférences

密教の世界

ブッダは呪術をはじめとするバラモンの宗教儀礼を否定し、初期の仏教教団も基本的に、その態度を引き継いだ。しかし、四世紀以降、グプタ王朝に保護されたバラモン教の勢力が、土着の習俗や儀礼を包摂しつつ伸張すると、その影響を受けて儀礼や祭式が大乗経典の中に流入するようになった。火を燃やして祈祷をする護摩(ホーマ)もそのうちの一つである。  このように仏教の中に流入したバラモン教的要素、土着習俗的要素に仏教的な意味を付加し、大乗仏教の中に体系的に位置づけたのが、七世紀頃に登場した『大日経』『金剛頂経』などである。これらの経典は、宗教儀礼や呪法などを仏教教理と関連づけて説明し、その目的を現世利益から成仏へと転換し、バラモン教やヒンドゥー教の神々を、仏(大日如来、大毘盧遮那仏)を中心とする世界に組み入れていった。こうして形成された大乗仏教の一つの形態を、密教(秘密の教え)と呼ぶ。密教の実践は、神秘的な体験に基盤を置いており、正確に理解されるのは困難である。そのため、師匠は、念入りに弟子の状態を見極め、受け継ぐべき境地に達した弟子に、秘密裏に教えの心髄を伝授するのである。 曼荼羅を用いた修行  初期の大乗仏教の出家者・在家信者は、ブッダの修行中の姿である菩薩に自らを重ね合わせ、輪廻を繰り返して六波羅蜜などを実践し、ブッダになることを目指していた。それに対して、密教では完成され 次の

Billet du jour

中道 中庸


によって ジン


Textes fondamentaux

ダンマパダ・第26章・415-423・最終

ダンマパダ 第26章・415-423 415 この世の欲望を断ち切り、出家して遍歴し、欲望の生活の尽きた人、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 416 この世の愛執を断ち切り、出家して遍歴し、愛執の生存の尽きた人、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 417 人間の絆を捨て、天界の絆を越え、すべての絆をはなれた人、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 418 <快楽>と<不快>とを捨て、清らかに涼しく、とらわれることなく、全世界にうち勝った英雄、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 419 生きとし生ける者の死生をすべて知り、執著なく、よく行きし人、覚った人、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 420 神々も天の伎楽神(ガンダルヴァ)たちも人間もその行方を知り得ない人、煩悩の汚れを滅ぼしつくした真人、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 421 前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、無一物で、何ものをも執著して取りおさえることの無い人、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 422 牡牛のように雄々しく、気高く、英雄・大仙人・勝利者・欲望の無い人・沐浴者・覚った人(ブッダ)、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 423 前世の生涯を知り、また天上 次の


仏教

ありのままを示す

ッダの教えは宗教でも哲学でも体系でもありません。 >それはまさに物事のあるがままを示す教えなのです。もちろんこれとは対照的に、ミャンマーやその他の国々にはありとあらゆる仏像や建造物があって非常に宗教的な面が見られるのは確かです。 しかし、このような宗教的な側面、祈祷や礼拝を必要としているのは、人々の方なのです。 ブッダの説法を本当に守るならば、本来、私たちはこれらの仏像や建造物とは無縁のものです。ブッダは発見者です。ブッダはいわば何かを発見した科学者であり、そこから宗教をつくられたのでも儀式をつくられたのでもありません。ブッダは新しい法則を発見され、その法則を説き示されました。ブッダの弟子はこの法を聞き、これを学びます。 そしてひとたびよくこの教えを習得したならば、今度は弟子たちがそれを教えることができるようになるのです。法輪はすでに見出されたのですから、敢えて再び作り出す必要はありません。大地は開拓されたのですから、何であれ、敢えて再発見する必要はないのです。 こうして私達はブッダの後につき従って「声聞」(仏弟子のこと)となり、ブッダの教えを聞きます。 私達はブッダの説かれる自然の法則を理解しようと努め、ひとたびそれを理解したならば、今度は私 次の

最後の記事

光明真言和讃

帰命頂礼大潅頂(だいかんじょう) 光明真言功徳力(くどくりき) 諸仏菩薩の光明を 二十三字に蔵(おさ)めたり 「おん」の一字を唱うれば 三世(みよ)の仏にことごとく 香華(こうげ)燈明飯食(おんじき)の 供養の功徳具(そな)われり 「あぼきゃ」と唱うる功力(くりき)には 諸仏諸菩薩もろともに 二世(にせ)の求願(くがん)をかなえしめ 衆生を救(たす)け給うなり 「べいろしゃのう」と唱うれば 唱うる我等が其のままに 大日如来の御身(おんみ)にて 説法し給う姿なり 「まかぼだら」の大印(だいいん)は 生仏(しょうぶつ)不二(ふに)と印可(いんか)して 一切衆生をことごとく 菩提の道にぞ入れ給う 「まに」の宝珠(ほうしゅ)の利益(りやく)には 此世をかけて未来まで 福寿意(こころ)の如くにて 大安楽の身とぞなる 「はんどま」唱うるその人は いかなる罪も消滅し 華(はな)の台(うてな)に招かれて 心の蓮(はちす)を開くなり 「じんばら」唱うる光明に 無明変じて明 次の