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元寇調伏、神風呼んだ?

木曜日 2010年7月29日

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蒲郡市丸山町の永向寺の県指定文化財「愛染(あいぜん)明王坐像」が、もとは鎌倉時代に石清水八幡宮(京都府八幡市)にあった、大小2体の由緒ある坐像のうちの1つで、数奇な運命を経て同寺にたどり着いたことが分かった。

 坐像が同寺に安置されたのは1931(昭和6)年。副住職の松井慶繁さん(38)の曽祖父が住職だった時代で、同寺が属する浄土宗西山深草派の総本山「誓願寺」(京都市中京区)から運び込まれた。

 総本山の宗派研究者で松井副住職の友人が、たまたま愛知県史の編さんにかかわったことから、同坐像が総本山に持ち込まれたきっかけが、明治維新で仏教や仏寺を排除しようとした廃仏棄釈だったことが判明した。

 友人が調べた文書によると、もともと鎌倉時代に大小2体の同坐像があったのは、神仏習合で知られる石清水八幡宮。日本三大八幡宮の1つで、時の将軍である北条時宗の信仰も厚かったとされる。

 後に神社から放たれた白羽の矢が神風を起こし敵を滅ぼしたとする言い伝えが残り、神社にあった同坐像に対しても国難である蒙古襲来を防ごうと元寇調伏が盛んに祈られたのではと推測される。愛染明王は軍神でもあり、NHKの大河ドラマで有名となった直江兼続のかぶと飾り「愛」の字は、愛染明王から取られた。

 ヒノキ製の同坐像は等身よりやや大きく、高さは1メートル21センチ。鎌倉時代に特徴的な写実的な手法でつくられている。傷みがひどくなったため、2005年から約1年かけて京都の美術院で修復した。

 松井副住職は「坐像が石清水八幡宮の時代から1000年もの間、激動の歴史を見つめてきたことを考えると、自分が小さなものに思える」と感慨深そうに話した。

佐藤芳久より

東日新聞 から

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