Buddhachannel

同じカテゴリでは

21 novembre 2016

L’Apprentissage Shambhala

29. Juni 2016

Ajahn Chah











Instagram





セクション

中国仏教

金曜日 2014年12月5日, によって ジン

Langues :

「菩提(bodhi)」が「道」と訳されたり、「仏陀(Buddha)」が「大聖」と訳されたことから、「道教」あるいは「聖教」などとも呼ばれた。

インド仏教は、中国社会に溶け込むなかで、しだいに中国仏教へと変化していった。たとえば、仏典の翻訳時から受けていた中国思想の影響により、衆生のみならず草木までもが成仏できるという本覚思想を身につけ、また、皇帝の保護を受ける必要から、鎮護国家的性格を持つようになった。

歴史
中国に仏教が伝わったのは後漢(25~220)初期のころであったが、実際に普及したのはその後の魏・晋・南北朝時代(220~580)であった。それはちょうど、道家思想が再認識され、道教の基礎ができつつあった時期であった。

道家との思想的類似性から、漢代には黄老思想と、そして魏・晋・南北朝時代には玄学と結びつくことにより広まっていった。仏典の翻訳や解釈にも道家の用語や思想が利用されることが多かった(格義仏教)。

隋唐時代(581~907)に入ると、王室による寺院建築などの保護を得て全盛期を迎え、三論・天台・華厳・浄土・法相・禅など多くの宗派が生まれた。そのなかで最も勢力を伸ばしたのは禅宗とくに南宋禅であった。


しかし、唐代後半になると、異国の宗教であることや経済的繁栄へのねたみなどから迫害を受けるようになった。迫害のうち最大のものは、845年の武宗によるものであった(参考:円仁『入唐求法巡礼行記』)。そのなかでほとんどの宗派は衰退し消滅していった。その後も生き延びることができたのは禅宗と浄土教だけであった。

禅宗

禅はもともとインドに古くから伝わる修行法であった。禅宗は南インドの達磨が520年に中国に伝えたとされるが、達磨という人物が実在したかどうかは明らかではない。達磨より前、魏・晋・南北朝時代の竺道生(じくどうしょう、?~434)はすでに、後の南宋禅で説かれる頓悟成仏説を唱えていた。

禅宗が飛躍的に伸びたきっかけは、唐代の神秀(?~706)による北宋禅と、慧能(えのう、637~712)による南宋禅の創設であった。二つの禅の特徴は「南頓北漸」であらわされる。「頓」は直感による悟りを意味し、「漸」は順序だった悟りを意味する。
当初、北宋禅が優勢であったが、唐代後半から五代にかけて南宋禅が主流となり仏教界を圧倒、そこから臨済宗、曹洞宗などが生まれた。

浄土教
魏・晋・南北朝時代に、東晋の慧遠(えおん、334~416)が白蓮社念仏(後の白蓮教のもととなった)を始め、北魏の曇鸞(どんらん、467~547)が称名念仏を始めた。隋唐時代になると、道綽(どうしゃく、562~645)およびその弟子の善導(613~681)が念仏を庶民に広めた。

浄土教は、禅僧や流浪の僧によって伝えられることが多かったため、ついに一つの宗派を成すには至らなかったが、それまでの中国仏教が皇帝や貴族中心のものだったのに対し、庶民にも広く普及した。さらに宋・元代以降になると、念仏禅というかたちで急速に広まった結果、明・清代以降の中国仏教は、ほとんど念仏禅一色と言ってもいいほどであった。

禅宗が、自分の中に仏を求め坐禅のような厳しい修行を行う必要があることから、士大夫など知識階級を中心に支持されたのに対し、禅宗になじめない庶民は、阿弥陀のような人格神に心の救済を求める浄土信仰に向う傾向があった。

宋代以降は、宗教的要素をも兼ね備えた朱子学・陽明学の普及が、仏教の衰退に拍車をかけることとなったが、儒教・道教との三教一致といった形で、その後も影響を及ぼし続けた。

思想

仏教の輪廻説は、現世中心的であった中国社会に前世や来世という概念をもちこむことによって、因果応報論と現実の幸・不幸とのあいだの齟齬を合理的に説明するのに利用された(三世報応説)。

中国では、輪廻が個人単位のものではなく、家あるいは一族を対象とするものと誤解され、いわゆる「親の因果が子に報い」というかたちで理解される傾向があった。
家族(祖先)を捨てる出家制度など、仏教には中国の伝統的な祖先崇拝思想に反するものがあった。そこで唐代には、それと折り合いをつけるために『盂蘭盆経』『父母恩重経』といった偽経が作られた。

禅宗と浄土教は、インド思想が重視する「言葉」や「論理」を軽視する傾向をもっているため、中国オリジナルの仏教ではないかとも考えられている。

空と無

仏教と道家思想には共通するものが少なくないが、とくに仏教の空と道家思想の無はよく似た思想である。ナーガルジュナ(龍樹、150ころ~250ころ)に始まる大乗仏教中観派は、万物(法)は縁起(関係)により生じるのであって、実相ではなく、なにも存在しない(空である)とした。一方、老子は万物は無から生まれるとし、荘子は無は無限であり、すべてを区別なく包容する概念であると考えたが、いずれの無も、なにも存在しないという意味ではない。

理について

仏教は、中国において勢力をのばすため、中国伝来の気の思想をとりいれたが、次第に独自の論理を展開するようになった。

「仏教が究極の境地とする真如の世界を理の世界として捉える仏教の宗教哲学は、必然的に道教などの伝統的な中国哲学が究極の原理として説く気をあくまで形而下の存在としてしりぞけ、仏教者の理を気の絶対的な上位においた。」(福永光司『気の思想』第二部「儒道仏三教交渉における気の概念」総論)

理を気の上位とする考え方は宋代の朱子学に引き継がれた。


homepage3.nifty.com/juroujinn/bukkyou.htm から

フォーラム 会員だけ投稿可能

この掲示板に投稿する前に あなたは登録しなければなりません。あなたに与えられた個人的なIDを入力してくれてありがとう。もしまだ登録してないなら、あなたはするべきです。 登録者。

Connexion登録パスワードを忘れましたか?