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お茶と宗教(仏教、道教など)

金曜日 2010年7月9日

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中国茶の歴史でも書いてあった「茶興於唐、盛於宋」という説があり、唐の封演の『封氏聞見記』巻六によると:「開元中、泰山霊岩寺大興禅教。學禅務於不寐、又不夕食、唯許飲茶。人自懷挾、到處煮飲。從此轉相倣效、遂成風俗。」とあります。座禅中の眠気を追い払う為に、飲茶だけが許可されたようです。この時代の宗派を問わず寺院における喫茶はかなり一般化されたという記載がありました。中でも中国開宗の禅宗寺院が、他のどの宗派よりもお茶と深く結び付いたそうです。

 しかし、お茶と仏教との関わりは唐という時代から始まったのではなく、東晋時代の禅僧単道開の喫茶に遡らなければなりません。また、禅僧単道開の禅室が茶室の発祥ではないかとも言われています(晋書・芸術伝)。

 単道開は敦煌出身の者で、昭徳寺に高閣を建て、更にその中に茅の禅室を作って、毎日眠らず座禅していたそうです。座禅中の眠気を追い払う為に、茶葉の紫蘇を混ぜた丸薬や「茶蘇」を飲んで眠気を駆逐していたと思われます。

 自古名寺出名茶:(古くから名刹に銘茶あり)
 茶葉がお寺にとってなくてはならない重要な存在になり、寺を訪ねる来客を招く為の茶室も誕生し、寺院独自の茶園も出現しました。今の時代と違って大昔では、寺院が大きな敷地があり、僧侶達も大勢居て、農民達のように農作業に追われる事なく、お経とお茶の研究に没頭する事が可能です。 「在古代、也只有寺廟最有条件研究茶葉、提高品質和宣伝茶葉」(中国茶経の「茶與仏教」を参考に)。

 お茶の需要が高まるに連れ、安定した供給源を確保する必要が生じたのと同時に、品種改良により一段と良い茶樹をも得る事が出来ましたので、晋以降、数多くの銘茶が寺院から作り出されます(自古名寺出名茶)。寺院から良質の茶葉が誕生できる理由は僧侶達の努力の他に、茶樹成長の地勢条件とも大きく関係しています。陸羽の茶経で「日の当たる山野の崖で、しかも日光の直射を遮る陰のある風化質の土壌があって初めて最高の茶樹が育つ」と定義してあります。寺院の多くはこのような環境に恵まれています。

 径山寺(浙江省余杭にあります)は唐代に創建し、宋代になって栄え、「東南第一の禅寺」と呼ばれる名寺です。仏教の聖地であり、有名な径山茶は寺に誕生、茶宴の儀式および茶宴用具一式を有していました。日本の仏教宗派・臨済宗の開祖である栄西(栄西は日本文化に影響を与えた二つの大事を成し遂げ:一つは禅を広めたこと、もう一つは茶を広めたこと)も一時期滞在したと言われ、また、その後、宗峰妙超(一般には大燈国師の名で知られ)は宋から帰朝の際、この径山寺から茶道具一式を持ち帰り、中国茶の方式を大徳寺(京都)に伝えたと言われています。

  お茶が唐という時代から勃興した理由は、強い唐の経済と文化の影響と、陸羽の努力、そして仏教、道教など宗教の関わりだと言われています。中国への仏教の伝来は漢という時代で、唐に入ると最盛を迎えたようです。よって、唐の僧道達はお茶の消費者であると同時に、啓蒙者としてお茶を広めました。唐の劉禹錫の「西山蘭若試茶歌」の中で僧侶と茶を書いてあります。禅院での喫茶の習慣が、中国全土に広まり、一般大衆の間にも喫茶の風が少しずつ浸透し、玄宗の開元年間の頃から、長安の街には茶房があったとの記載が。また「茶道」という単語も、唐の『封氏聞見記』に見る事ができます。

 南宋の最盛期に宋文化が急速に形成されて行きました。お茶は、唐代には主に僧侶の間(廟々種茶、無僧不茶)で流行していたに対し、宋代になってから、僧侶のみならず、皇帝や文人も加わりました。お茶は「興於唐朝、盛在宋代」という説も納得しやすい。


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