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仏教に向かわせた「生きづらさ」とは?

木曜日 2013年9月26日

Langues :

――修行のなかで出会った仏教を「自分のもの」として体得したのはいつ頃だったんですか?

私の仏教との出会いは二段階あるんです。最初は修行に行った24歳のとき。一年間、東寺の中で掃除したりお経を読んだりしていると、それまで感じていた生きづらさや苦しさがすごく楽になったんです。いろんな疑問は浮かんでくるにしても、そこにいると生きやすいな、生きることに対する抵抗力が減ったなと体感して「これはいいな」と思いました。

  でも、本当に仏教が自分にとって大切なものになったのは修行後です。大学院に戻って修士論文を書いていると「やっぱり社会で生きるのはダメだな」と実感しました(笑)。文系大学院の修士なんて、かなり社会の隅の方にいる存在だと思うんです。でも、自分にとっては社会の内側にいるということがつらい。なるべく社会の外にいるにはどうしたらいいのかと考えて、いろんな仏教書を読むなかで南直哉さんの本に出会って。「この人が仏教に向かっていった姿勢は共感できるな」と思えました。南さんが仏教によって、抱えていた生きづらさから解放されていった道の歩みが見えてきたとき、「これは自分にも効くものじゃないか」と思えて、だんだんまじめに勉強するようになりました。

――修行後に明確になった生きることの苦しさってなんだったんですか?

 中学生の頃に『エヴァンゲリオン』を見て、その関連書籍から東浩紀さんの本を読み出したのですが、すると「うわ、私がつらかったのはこのポストモダンというもののせいなのか」みたいな(笑)。つまり、自分が生きること、この社会があるということに対しては、根拠がないんだということですよね。

 生きなくてはいけない理由がないということがすごくつらくて。別に学校も行きたいわけじゃないけど、社会で生きていくには行かなければいけない。このつらさを乗り切るために、最初は文学をやってみたんです。文学を読んでいると「世界には意味があるんだ」いう物語が提示されるからそのときは楽になります。でも、読み終わるとまた同じ。一時的に、対症療法的にごまかしても「生きる根拠はない」というつらさは消えないわけです。

higan.net/blog/bouzu/cat459/yuzuki_01/#more から




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