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自分の住むまちに築くべき仏国土とは一体どのようなものなのか

水曜日 2010年6月2日

Langues :

仏国土とは、約150年ほど前の南北戦争の激戦地ゲティスバーグでのリンカーン米国大統領のあの余りにも有名な演説の一節に尽くされていると私は考えています、つまり「government of the people, by the people, for the people」という言葉に尽きると私は考えています。

この言葉は「市民の市民による市民のための“社会”(社会とはつまりその中身は“市民のための社会の構造と仕組み”とも言えますが)」と読み替えることができると私は思います。この言葉こそが、自分の住むまちに築くべき仏国土の中身であると確信しております。この言葉には 前置詞が3つでてくるわけですが、仏国土建設には その中で 特に byが最も大切なキーワードでなければならないと私は思っています。

つまり まずは 仏国土という限り 全ての社会の構造や仕組みは 一部の企業や官僚や政治家などの支配階級のためではなく 市民のために築かれねばなりません(for people)。しかし 何よりも 仏国土である限り 市民自身が、自己チュウーを脱して そのような社会制度の構築や運用に積極的に関心を持ち自らが参画していかねばならないからです(by people)。

築くべき仏国土とは 私の考えでは 襄山51号に書きましたように「競争だけでなく共生が根本原理となっており、人種・性別・年齢・障害の有無・国籍・貧富・生まれなどの違う人々がそれぞれその人らしく生きる」ことができ、「憲法で書かれている“基本的人権の尊重・主権在民”が 字義通り実現している」社会ではないかと思います。 確かに そんな社会は 個人でいえば“悟り”と同じくらい実現はまことに至難の技と言わざるを得ません。ほぼ現実には不可能かも知れません。しかし 自分や自分の家庭の中に閉じこもりがちな自分の関心を社会へと広げ、お互いが手を携えて、そういう社会を市民自らの手で構築していこうとするとき、丁度 心身を一定の状態に保っておけば心の中に仏国土が自ずと出現してくるように、その地域には 自ずと仏国土が出現しているのではないでしょうか?!

山内庸行 より

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