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18 juillet 2016, par Stefania Mitrofan

Mahajanaka Jataka

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大乗仏教は仏説か (一)

火曜日 2010年9月7日

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「釈迦仏教」というテーマの文章の中で、『般若経』とか『法華経』『華厳経』あるいは「浄土経典」などの「大乗」を自称する経典は、釈迦牟尼仏が亡くなってから400年から500年ほどたった紀元前後頃に作られたもので、これらの経典の中には釈迦牟尼仏や舎利弗・目連あるいは須菩提などの仏弟子が登場するけれども、それらは歴史上の釈迦牟尼仏や舎利弗・目連などではなく、単に大乗経典の舞台装置として使われているまでのことであって、したがって大乗仏教経典は歴史上の釈迦牟尼仏が説いたものではないというのは今日の仏教学界では誰でも承認している常識であるというようなことを書いた。

 しかしながらもしそうだとすると、大乗仏教は仏教ではないということになってしまう恐れなしとしない。故中村元博士などが編集され、1989年に刊行された『岩波仏教辞典』の「仏教」の項目に、「仏の説いた教え。〈仏教〉の語は現代では広く釈尊を開祖とする宗教の名として、キリスト教、イスラム教と並べて用いられる」と解説されているように、仏教は釈尊を開祖とすると明言されているから、大乗仏教経典が釈尊の名を騙るものにすぎないとすれば、大乗仏教は仏教とは言えないということになってしまうからである。
 ところで、「仏教の開祖は釈尊」という辞書の解説は疑う余地がないのであろうか。

 実は筆者は釈尊自身にはおそらくそういう認識はなかったものと考えている。釈尊は諸々の仏が通った古い道を自分も通って仏となり、諸々の仏が悟った真実を自分も悟り、諸々の仏が説いた教えを自分も説いたという自覚を持っておられたからである。それを最も象徴的に示すのが、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」という句である。「是諸仏教」という句のパーリ語の原語は‘etaM buddhAna sAsanaM’であって、‘buddhAna ’は‘buddha’の複数形所有格であって、「諸」は「教え」にかかるのではなく「仏」にかかるのである。そこでこれは「七仏通誡偈」とも「諸仏通誡偈」とも呼ばれる。諸々の仏は、それぞれ時代や環境や衆生の機根の異なる世界に生まれられたので、その教えはさまざまなものとなったが、この句だけは共通して説かれたという意味である。

 確かに釈尊は無師独悟されたとされている。釈迦牟尼仏は誰かに教えられて仏になったのではないが、一方では諸々の仏が通った古い道を自分も通って仏となり、諸々の仏が悟った真実を自分も悟り、諸々の仏が説いた教えを自分も説いたにすぎないという自覚も持たれていたのである。

 もっとも釈尊自身はそうであったとしても、仏弟子たちはやっぱり仏教は釈迦牟尼仏が説きだされた独創的な教えだと考えていたかも知れない。しかしながら仏弟子も『テーラガーター』という仏弟子たちの言葉を集めた経典の中で、「智慧ある者は諸々の仏の教え(buddhAna sAsanaM)に思いを凝らすべし」などと言っているから、やっぱり同じような見解をもっていたといってよいであろう。

 その証拠に仏弟子たちが編集した原始仏教聖典にはブッダの複数形が無数に出てくるし、毘婆尸仏(ヴィパッシン仏)などの具体的な釈尊以前の仏たちの行状に関する伝承が記され、釈尊滅後100年か200年ほどしてインド半島を統一した護教の王として名高いアショーカは、過去の仏の1人であるコーナーガマナ仏の仏塔を修復したという碑銘を残している。そして釈迦牟尼仏の伝記はこれらの過去仏よりもずっとはやい大昔の燃灯仏(ディーパンカラ仏)という仏の時代に、釈尊の前世のスメーダという青年が発心したという事跡から始められるのが常であり、その後のさまざまな仏のもとで修行した結果、釈迦牟尼仏となったとされるのである。

 とはいいながら仏教の歴史は、釈迦牟尼仏の入滅を紀元元年とする紀年法によって記されるのが普通であるから、古くから釈尊が仏教の開祖であるという認識もあったのであろう。例えば『異部宗輪論』(AD.2世紀ころ成立)とか、パーリ語で書かれた『ディーパヴァンサ(島史)』(AD.4世紀末ころ成立)といったものがそうである。もっともこれらは筆者のいう「釈迦仏教」の歴史を書いたものであるから、当然といえば当然といえるかもしれない。

 ところが不思議なことに、大乗仏教経典自身は釈迦牟尼仏に相当こだわっていたようである。大乗経典に釈迦牟尼仏や舎利弗・目連などが登場するのは、大部分の大乗経典は釈迦牟尼仏が仏弟子たちに説いたという設定になっているからである。もっとも大乗経典の本当の主人公は、阿弥陀如来や薬師如来であったり、観世音菩薩や地蔵菩薩であったりするのであるから、釈迦牟尼仏はそれら他の仏や菩薩などの教えをプロンプターよろしく紹介するだけの役割しか与えられていない。確かに『般若経』や『法華経』の主人公は釈迦牟尼仏であるが、しかし同じ釈迦牟尼仏でも『法華経』がわざわざ「久遠実成の釈迦牟尼仏」と断るように、その釈迦牟尼仏は歴史上の釈尊のことではないし、『般若心経』にしてもその主人公は観自在菩薩なのであるから、大乗仏教経典の中の釈迦牟尼仏の位置は推して知るべしである。

 筆者はかつて『仏教的ものの見方』(国書刊行会 平成13年3月)という本を書いたときに、半分くらいは冗談で大乗仏教経典の特徴を4つ上げたことがある。その4つというのは、①大乗経典は身元不詳、②大乗経典の釈尊はピエロ、③大乗経典は超合理の世界を説く、④大乗経典は自己宣伝する、である。

 大乗経典は結集という仏教教団の代表者が集まって開かれた経典編集会議によって編集されたものではなく、いつどのように制作されたのかよく分からないし、先に述べたように大乗経典の釈迦牟尼仏は舞台廻しの役割しか与えられていないからであり、大乗経典は真言陀羅尼とか加持祈祷、あるいは経典書写などに合理的には説明できにくい霊妙な力を認め、また大地から仏塔がせり上がってくるなど摩訶不思議な世界が描かれるからであり、大乗経典は大変にパフォーマンス上手であって、般若経にとっては般若経が、法華経にとっては法華経が最高の教えであって、小乗経典はおろか他の大乗経典も取るに足りないとされるからである。

 このように大乗仏教の経典は、釈迦仏教の経典とは全く異なる過程を経て生れてきているのであるから、大乗経典が釈迦牟尼仏にこだわらなければならない理由はないのである。そもそも『法華経』は釈迦牟尼仏がこの世に現われる以前の久遠実成の釈迦牟尼仏が説かれていた教えであり、一切は空であるということも三世の諸仏が等しく観察して仏になった教えなのであるから、歴史上の釈迦牟尼仏が登場しなければならない理由はないのである。

 第2回目の「般若ということ」という文章の中で書かせていただいたように、そもそも仏とは「あるがまま」を「あるがまま」に知る智慧を完成した者のことであって、「あるがまま」なる真実というものは、けっして永遠不変の真理をさすのではない。仏教にもし永遠不変の真理があるとすれば、それは「すべてのものは変化し、永遠不変なるものはない」ということである。だから真実は刻一刻と変化する現実そのものであり、この現実を「あるがまま」に知見して説かれる教えも、また変化して当然である。現実が変化するのに、教えが永遠不変のものにしがみついているとすると、それは現実に対応する力を持たないことになる。そこで仏教はたえず経典を制作し続け、その過程として大乗経典も、その後の密教経典も生まれてきたのである。


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