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真言宗大覚寺派教学講習会速記録 (五)

インド仏教の変遷と衰滅

木曜日 2010年5月13日

Langues :

そして、その民衆化した仏教がさらにより民衆に近い形で理念を説こうとすると、インドにあっては当然のことながら教化の対象であったヒンドゥー教の人々に合わせて説くことになるのであり、それが密教であった。だから、仏教のヒンドゥー教化は避けがたいものであったが、それが最高の到達点であったと見ることも出来る。

それはインドの社会の変化に伴う当然の変容であったと言えるが、それを仏教の堕落と見る向きもある。非合理で非理性的な教えに堕したとの受け取り方を特に明治以後になされたが、その見方自体が、東洋的ではなく、近代西欧の理性というもの、つまりカント的な、言葉で合理的に納得できるものを指すからであるが、本来宗教とはそのように言葉ですべてを説明できるものではない。言葉で仏教が分かるというものではない。必ずそこには行、実践が必要であるように、より実践と体験を重視する密教に仏教は移行していった。

七世紀頃のインドには沢山の小国があり仏教僧と王が仏教を中心に統治していた国々があり、ヒンドゥー教の国と対立を生んでいた。そうした中にイスラムが侵攻していく。711年に初めてイスラム軍のインド侵入があり、ヒンドゥー教の国々はこれと闘うが、仏教徒の国では、仏教や社会を守るためであっても、暴力を用いたり、血を流すことは戒律に反するとして闘わず、特に西インドの仏教国はイスラムに飲み込まれていった。

仏教の精神がそこまで浸透していたかと驚くほどであり、当時のインドにあった一つの仏教文明として彼らが何を重視したのかを良く表した事例であると言える。こうして13世紀初頭には仏教はインド社会から衰滅したとされるが、今日でもヒンドゥー教徒たちが菜食を尊重し、非暴力を賞賛することに仏教精神が彼らの中に生きていると見ることが出来る。

今日インドでは仏教徒はごく一握りの存在と見なされがちだが、実際には、戦後インド憲法を起草した、ネルー政権の初代法務大臣で、アウトカーストであったアンベートカル氏が、世界の様々な宗教を研究して最も人類の平等を説く仏教が優れた教えであるとして、同じマハールの人々30万人とともに宗団改宗をして、今日も増え続け、インドでの仏教徒は今日、公称で700万人、実際には3000万人とも言われるようにインドで仏教は息を吹き返しつつあるといえる。

http://blog.goo.ne.jp/zen9you より

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