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科学技術と宗教について

金曜日 2014年3月21日

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科学技術の位置づけ

「科学技術と宗教」というテーマで語るには、まず科学技術というものをどの様に考えているかの認識を明らかにすることが必要と思います。「科学技術」という言葉は特殊な言葉です。一般的に良く使われていますが、国語辞典にも英語辞典にも該当する言葉がありません。「科学」と「技術」を合成した言葉で本来は「科学・技術」と書くべきもので、英語では「Science and Technology」となるべきものです。ですから科学技術といっても意味するところは明確でなく、科学と技術に分けて認識すべきものです。

「科学」とは世界(自然)に関する論証可能な知見でありまして、大部分は数学や定義された記号を言語として記述され、一度確立された知見は蓄積され新しい知見が付加されていきます。つまり、「科学」とは世界構造(自然)に対する知識の集積でありまして、「一体どうなっているの」という知的探求心に応える知識の集積であります。一方、「技術」とは自然の事物を改変・加工して人間活動に利用する方法論的知識であります。「科学」の知見を応用した方法もありますし、「科学」的な裏付けはないが経験的に獲得された知識も「技術」の重要な部分を占めています。「どうなっているのかは解らないが上手く働く」というのが「技術」を特徴づける言葉のような気がしますが、近年は「科学」による知見から「技術」が生み出されることが多くなり「科学技術」という言葉が頻繁に使われるようになってきたものと考えられます。

人間の行動論的に考えると「科学」とは知識欲の探求の結果、「技術」とは物欲の探求の方法と位置づけられると思います。現在では科学や技術に関する哲学的思考も一つの学問領域となっており「科学論」「技術論」として論文が発表されています。典型的な見解は「科学は中立的であり、その応用(技術)によって善にも悪にもなる」とされていますが、近年のように技術的応用を目的として科学的研究が行われる時代にあっては、「科学」は単に知識欲ばかりではなく、物欲探求の手段になっています。昨今のような競争指向は短期的な結果が期待される「技術」とその技術進歩に貢献する「科学」領域への研究集中をもたらしますから、「科学」研究も現代社会の進んでいる方向を強化する方向にしか進まないことになります。つまり、現代の「科学・技術」は物欲を拡大する方向にしか進まない構造になっていることを指摘しておきたいと思います。

科学と宗教の接点

宗教とは極めて多層的な概念で、私には皆様に明確な定義をお示しする能力がありません。駅前でビラ配りをしているのも宗教ですし、荘厳な施設で伝統的な儀式を行うもの宗教ですし、呪術的な方法で病気を治すのも宗教ですし、地域紛争の原因の一つになっているのも宗教です。このように宗教は世界の人々に大変大きな影響力を持っていることは確かですが、その宗教を一口で説明することは大変難しいことです。しかし、多くの宗教に共通する点は「自分を取り巻く世界への関心」と「自己自身の意味づけ(生きていく意味づけ)」に解答を示していることにあると思います。つまり、自分自身と自己をとりまく周囲の世界構造の理解という人間の根元的な疑問に回答を与えるものであり、その回答を認めることが信仰である訳です。

このようなの根元的な疑問に対応するのが「科学」であります。「科学」は世界に関する関心を満たす方法として「宗教」と共通の関心領域を持っています。そして、「宗教」における世界構造への関心は「科学」によって裏付けが行われてきました。しかし、近年の「科学」の急速な知識量の拡大は「宗教」の立場を危うくするような場面、「地動説」、「自然淘汰」、「DNA」を生み出してきました。しかし、なお、「科学」の未知の部分は多く、このような世界構造を創造した「神」の支配する領域は厳然として有効と考えられています。また、自己の存在理由にかんしては「科学」は少しの寄与しか果たしていません。

技術と宗教の接点

私どもの日常的生活ではこのような根元的疑問に悩みながら生きている訳ではありません。それよりも明日の食べ物の確保、目前の仕事の処理に追われて生活しています。いかに食べ物を確保し、いかに仕事を処理するかが第一の関心事です。そして宗教を中心とした共同体ではそこにも解決の方法を与えています。宗教的規範に従った基本的な生活スタイル(行動様式)を提示し、衣食住から教育、医療、商取引に至るまで社会生活(共同体での生活)の全般にわたって、疑問をいだかずに行う方法が提示されているのです。

このような生活行動様式に関連するのが「技術」であります。「技術」は物的欲求の実現手段であり、欲求は果てしなく膨張し宗教的規範によって取り決められていた生活スタイルの範囲を簡単に逸脱してしまいます。「技術」は自然界に存在しない物質を大量に創り出しますし、手に余るエネルギーを生み出しています。「技術」が「科学」よりも私どもの生活に密着しているが故に宗教的な行動様式との接点が多く、摩擦も多く生み出しています。例えば、臓器移植という治療方法が具体的に行われなかったならば、脳死という概念も検討する必然性はありませんでした。免疫機構という人間個体の保護機能の解明という「科学」知識は、免疫機構を抑制する物質という「技術」を生みだし、自己組織以外の組織を自己体内で働かせることを可能にしました。一個体の存続という欲求が死の概念変革を迫っているというのが脳死の問題であります。これは、「自己自身の意味づけ(生きていく意味づけ)」に関わる問題ですから、科学や技術の問題ではなく宗教の問題であるべきです。生命倫理の問題として科学者や技術者(医師を含む)、官僚、有識者が話し合うべき問題ではなく、各宗教がその見解を示すべき問題です。

もう一つの「技術」と「宗教」の接点は、技術進展による生活水準の向上です。近代文明は人間の物質的欲求を、技術革新の成果を取り入れ大量の資源を消費することによって可能にしました。この結果、近代文明は人間生活から多くの苦痛を取り除く事に成功しました。基本的な欲求である衣食住ばかりでなく、物質消費の選択の自由を拡大しましたし、時間的な自由度も大きく拡大され、余暇(自由裁量時間)の過ごし方にも多様な方法が与えられるようになりました。苦痛からの解放は「宗教」への依存の程度にも大きな変化をもたらし、日常的な活動における宗教への依存度、つまり、宗教的な規範に依存して解決すべき問題は表面的には減少の一途をたどっているように見えます。このような宗教的規範への依存度の減少は、宗教が果たしていた「自己自身の意味づけ(生きていく意味づけ)」までも捨て去ることになり、その結果、多くの生きる目的を見出せない人々を生み出すことにもなっているようです。「技術」は人間に生きる手段を与えるが、自己自身の意味づけは与えない。現代人は生きる手段を重視するが故に、生きる意味を捨て去りつつある。これが「技術」と「宗教」の第2の接点であります。

早稲田大学講師 今岡達雄 より
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