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18 juillet 2016, par Stefania Mitrofan

Mahajanaka Jataka

18 July 2016

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三十三間堂本坊妙法院門跡門主 菅原信海

日曜日 2010年8月15日

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◆復活する神仏習合

神仏習合の「習」は、普通の「習う」という意味ではなく、上の「羽」の字が語源です。しかし、鳥の羽の運動の様子から重なるという意味が出てくるのです。つまり、神と仏が重なり合うこと。融合ではありません。神仏が異質なまま重なり合うのが、本来の「神仏習合」の意味です。

明治の神仏分離令で廃止された宗教行事もありますが、最近、我々の身近で復活した宗教行事もあります。いくつか紹介しましょう。京都・八坂神社では3月、天台宗が法華八講の神前法要を約140年ぶりに営みました。法華八講とは、8巻の法華経の講義をすることです。これは神社で寺の行事が復活した画期的なことでした。京都の清水寺と石清水八幡宮は、それぞれの霊水を一つの器に入れる行事を始めました。この両社寺は名前からして水への信仰が共通しています。

こうした宗教行事がどのように我々の生活にかかわっているか。その深層にある信仰の実態を見なくてはいけないと思います。

◆多様で重層的な宗教観

「日本人は無宗教だ」とよく言われます。「あなたの宗教は何か」と聞かれ、すぐに答えられない。「宗教」という言葉がいけないように感じます。分かったようで分からないあいまいな言葉です。

宗教は、英語の「religion」の翻訳語として用いられ、欧米のキリスト教の概念がつきまとっています。religionは本来、「頼れるもの」という意味で、これが「宗教」に置き換えられた。しかし、日本人の感覚に一番近いのは「信仰」という言葉だと思います。

古い家で、神棚の下に仏壇があっても何の不思議も感じない。それが日本人です。多様性、重層性とよく表現しますが、日本人は複数のものを何の矛盾もなく信仰しています。そこに神仏習合という形態があるのです。

日本人は、お祭りが好きですが、元々は、神や仏をまつる行事です。祇園祭のの山鉾巡行も、実は、八坂神社の祭りの一コマです。祇園祭に参加することは宗教に携わっていることなのです。日本人は無宗教ではなく、意識しているかどうかの違いで、無意識的な宗教心を持っていると考えています。

◆神祇信仰について

日本には古来から神を信じる「神祇信仰」というのがありました。神には姿がありません。後代に神の存在を視覚に訴えようと、神像が作られますが、これは仏教の仏像や仏画の影響です。姿のない神は、どこにいるかも分からない。

そんな神について本居宣長は「古事記伝」でうまく定義しています。神は「すぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物」とし、「すぐれたるとは尊きこと善きこと」、同時に「悪しきもの、奇(あや)しきもの」も「神だ」と言うんです。悪い神も入れて幅広くとらえているのです。

宣長にならって日本の神を3つに分けると、1つは「アニミズム的神」。原始信仰ですが、自然現象などを神として恐れる場合です。風や山、水などをあがめるのもそうです。

2つ目は「記紀神話の神」。古事記や日本書紀に登場する神々で、さらに高天原(たかまのはら)の「天(あま)つ神」と、地上界の「国(くに)つ神」の2つに分かれます。3つ目は「土地の神」。それぞれの土地を守る地主の神です。

◆仏教の伝来と受容

日本では古来からの神祇信仰に、仏教が伝来して加わりました。百済から日本へと伝えられた仏教の公伝の年代は、538年とされていますが、最近、その根拠となる「法王帝説」や「元興寺縁起」は時代が下る典籍とし、真偽が議論されています。

日本書紀では552年が公伝の年になっています。しかし、私的な仏教伝来はもっと古いと思われます。仏教はやがて奈良時代に「国家仏教」と位置づけられ、聖武天皇の時代に定着しました。

◆神仏習合の様々な形態

古くから神仏習合の宗教行事がありました。八幡神の総本宮、宇佐神宮(大分県)では、「放生会(ほうじょうえ)」が営まれてきました。生き物を放ち、生き物の命を大切にする放生会は本来、殺生を戒める仏教の行事です。大和朝廷が九州南部の隼人族を征伐した時、八幡神がそれに加担したことを反省し、罪のあがないとして始まったとされています。

奈良・東大寺の二月堂のお水取りもそうです。正式には「修二会」と言い、二月堂の本尊・十一面観音の前で、様々な罪を懺悔(さんげ)することです。お水取りの由来は、若狭(福井県)の「遠敷(おにゅう)明神」が二月堂への参集に遅れたため、その罪滅ぼしに若狭から地中に水を通し、二月堂の「若狭井」に送ったとされています。お水取りは、若狭井の水をくんで観音に供える行事なんです。

ちなみに若狭では3月の初め、神宮寺というお寺で若狭井に水を送る「お水送り」という行事があります。実はこういう説話には裏があり、これは十一面観音信仰が若狭から奈良に伝わったことを示しています。その伝承がお水送りとなって伝えられているのです。

天台宗の延暦寺がある比叡山は元々、神をまつった山でした。そこに伝教大師最澄が入山し、神とともに仏教を広めていった。比叡山の神は「山王」と呼ばれました。伝教大師ののち、円珍が「山王三聖信仰」を創唱しています。三体の仏をまつる仏教の「三尊形式」を取り入れたのです。

◆本地垂迹(ほんじすいじゃく)説、反本地垂迹説について

神仏習合では必ず、「本地は何で、垂迹は何だ」という議論が出ますので、「本地垂迹説」に少し触れておきます。これは「法華経」の中に教理的背景があります。「法華経」には、昔から未来に至るまで生き続ける理想上の釈尊、つまり「久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦」が根本にあり、それが、我々の目に見える形で現れたのが歴史上の「現実の釈迦」であるという考え方があります。この久遠実成の釈迦が「本地」で、現実の釈迦が「垂迹」。ここに本地垂迹説の思想的根拠があります。

日本の神も最初、仏教の側から見れば、救いの対象の衆生の一つでした。その神の地位が高められ、やがて仏の次の位の菩薩になる。その代表例が「八幡大菩薩」でしょう。

だが、菩薩になっても、仏とは同格ではありません。そこで同じ位にまで持ち上げてくる思想が出てきた。これが平安末期の「本覚思想」です。本覚とは「我々は元々悟っており、修行する必要はない」という都合のいい考え方。例えば「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」。迷いは即悟りだとされます。相対する概念を乗り越えて一つにする発想で、これを神仏に当てはめ、神=仏となりました。

こうして同じ位に達した神は、仏の現れだとされました。これが「本地垂迹説」です。例えば、よく徳川家康を「権現様」と言いますが、これは家康が権(かり)に神として現れたということです。本地仏は薬師如来なのです。中世にかけて日本の仏教の中に、本地垂迹説を元に日本の神をどう見ていくかという「仏家神道」、つまり、仏家によって唱えられた神道説が生まれます。

また、この本地垂迹説を逆さにして、日本の神が本地で、仏がその現れだと解釈する「反本地垂迹説」が現れました。この説を大成したのが吉田兼倶(1435—1511)で、京都・吉田神社の元となった「吉田神道」です。

「唯一神道」とも呼ばれますが、その具体的な教理として「根本枝葉花実説」があります。根本は日本で、日本の神が中国に渡って枝となり、葉を茂らせて儒教となり、インドで開花し実を結ぶ、これが仏教であるとの考えです。特に吉田神道は密教や道教なども取り入れていて、これこそ日本本来の信仰形態ではないかと思っています。

◆信仰心は健在

このように日本では神と仏がいつもつながりを持ってきました。ところが、明治の神仏分離以後は、江戸時代の本居宣長や平田篤胤(あつたね)らによる国学神道が主流となり、仏教の教えが入った吉田神道は廃止になり、日本の宗教は国学神道系一色になってしまいました。

私は、歴史を無視した、この政策を導入した明治維新が、日本人の信仰心を薄れさせてしまったのではないかと考えています。明治維新は、日本の近代化にはプラスになったかもしれませんが、文化、宗教面ではマイナス面が多い。

第2次大戦後、さらに信仰心が薄れてしまった。それでも、日本人が無宗教だと言われれば、表面的にはそう見えるかもしれませんが、日本人はまだかなり篤(あつ)い信仰心を持っているのではないかと希望を持っています。

読売新聞 より

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