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Mahajanaka Jataka

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布施とは、むさぼらざるなり

金曜日 2010年4月9日, によって ジン

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かけた情けは水に流せ

『みんなで探したちょっといい話』(志賀内泰弘著 かんき出版)という本の中にこんな話が紹介されていました・

長野県上田の比田井美恵さんから届いた、お父さんの忘れられない「言葉」についてのお話です。

比田井さんがまだ独身で両親と同居していた頃の話です。ある年の十二月二十九日夕方六時過ぎ、一本の電話がかかってきました。以前勤めていた会社の元同僚二人でした。
「今日、長野県に来てスキーをしていたんだけど、 帰ろうと思ったら車が全く動かない。 猛吹雪で、周りにはもう誰もいない。 助けてほしい」とのことでした。自動車修理屋さんに電話をしましたが、年末の夕食時ということもあり、なかなか引き受けてくれません。比田井さんのお父さんが頼み込んで、一軒の修理屋さんが、四〇キロ離れたスキー場まで行ってくださることになりました。

猛吹雪の中、二時間かけてスキー場までたどり着きました。修理屋さんは、雪まみれになりながら、必死で修理をしてくれました。しかし、なかなか車は直りません。やむなく比田井さんの家まで牽引することになり、猛吹雪の中を引き返しました。やっとの思いで自宅にたどり着いたのが夜中の二時。もうクタクタです。ドアを開けて驚きました。いつもなら、どんなに遅くても夜十時には寝ている両親が、笑顔で迎えてくれたのです。
 「お帰り! お疲れさま! さぁ、早く中に…」

あたためられた部屋にはごちそうの山。さらに、お客さんのためにお風呂と布団が準備してありました。元同僚の二人は、疲れ果てて倒れこむように眠り、翌日は修理を終えた車で無事に帰っていきました。ところが、待てど暮らせど何日経っても、「無事着きました」の連絡がありません。彼女は、両親に申し訳なくて言いました。

「お父さん、ごめんね。 あんなによくしてくれたのに、何も連絡してこないような友達で…」

お父さんは、にこやかにいいました。

「”かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め”  という言葉があるだろう。人に何かしてあげたからといって、お父さんは何も見返りを期待していないから、いいんだよ」
この言葉を聞いて、自分が恥ずかしくなったといいます。なんて心が狭かったのだろうかと。「見返りを期待しない」の言葉に、父がとても格好よく見えた瞬間でした。このときのお父さんの言葉と表情が、今でも忘れられないそうです。」

むさぼるな、へつらうな

この話を読んで、自分は比田井さんのお父さんのような言葉を発する事が出来るだろうかと自問自答してみました。私だったら、娘さんの元同僚を罵ってしまいそうです。


『修証義』第四章に「布施とは貪らざるなり。自らが力を分かつなり。」という一節を読んだことのある方も多いと思います。この言葉の原文は、道元禅師の「布施といふは、不貪なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。むさぼらずといふは、よのなかにいふ、へつらはざるなり。」と言っておられます。


不貪というのは、欲張ったり執着しないことです。欲張ったり執着しないということは、人に気に入られるように振るまったり、媚びたりしないことである、という意味です。私達の心には欲望があり執着があります。「貪り」の心があります。それが布施を実践する事の妨げとなっているのです。むさぼりの心を捨てて、物を惜しんだり骨身を惜しんだりする心を棄て去って、与えるべき時に財物を施そう、手を貸してあげよう、力を貸してあげよう、言葉をかけてあげよう、と道元禅師は説かれています。
ところが私達はなかなかそのように出来ません。人の為に力を貸してあげても、お礼の言葉が無ければ「なんだ、あの人は」と腹を立ててしまいます。それは、私達の中にある執着が「これだけのことをやってやったんだ」という思いを引き起こすからです。そういう執着を捨て去り、布施という修行させていただいたと受け止めるように生き方が出来たら素晴らしいですね。以前、酒井大岳老師は御自身の講演の中で、執着を離れた方のことを譬えて「水 さらさらと」と語って居られました。


「へつらわざるなり」という言葉を説明するのはなかなか難しい。辞書によると「へつらう」という言葉は、「相手の顔色をうかがう」「取り入る」ことを言います。布施を受けた事に感謝することは大切ですが、施してくれた方に媚びたり、卑屈になったりすべきではないということです。また、相手の歓心を買うために施すことは、布施では無いということです。

私達はとかく世間の目を気にします。世間体を気にします。このことが一概に悪いとは言えませんが、そこには「保身」を図る行動があり、世間に媚を売り「長いものには巻かれろ」的な対応があります。相手に自分を良く見せようという気持ちがあるのです。施す方に自分の評判を高めようとしたり他人を利用としたりという思惑があったら、それは布施ではありません。人に「へつらう」ために、施しをしていると言うしかありません。

そう考えると、道元禅師は単に物やお金の遣り取りについて「むさぼらざるなり」「へつらわざるなり」と言っているのではなく、私達の生き方、人との接し方について「貪り」と「へつらい」を戒めているのだと思います。そう考えると、本当の布施行を実践することはなかなか難しいものかもしれません。でも、少なくとも「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。」という言葉を実践することから、正しい布施行が始まるのだと思います。まずは、比田井さんのお父さんを見習っていきましょう。

dorinji より http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/folder/42385.html から

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