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観音信仰

木曜日 2013年12月12日

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観音菩薩(かんのんぼさつ)は、仏教の菩薩の一尊であり、特に日本において古代より広く信仰を集めている尊格である。「観世音菩薩」又は「観自在菩薩」ともいう。「救世菩薩」(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。

観音経などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっている。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっている。浄土教では『観無量寿経』の説くところにより阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩とともに安置されることも多い。観音菩薩は大慈大悲を本誓とする。中国では六朝時代から霊験記(『観世音応験記』)が遺され、日本では飛鳥時代から造像例があり、現世利益と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰されている(Wikipedia)。

* 鹿角の観音信仰

普通にただ観音と言うときは、聖(正)観音のことをさす。日本では仏教渡来以降早くから信仰され、多くの像や絵画が作られている。

この信仰は熊野信仰と結びついたり、十一面観音、千手観音、馬頭観音など、いろいろな形で民衆に受け入れられてきた。観音信仰の根強さは、神仏分離が行なわれた今日なお、市内に観音社の社名を有する宗教法人として認められている神社の存することによっても知られる。

市内の観音堂の中で、中世以前からあったと思われるものは、錦木・芦名沢・大里・谷内などである。近世においては、鹿角三十三観音霊場の巡拝が行なわれてきた。

* 錦木山観音寺

この内、錦木の観音堂は錦木山観音寺と号し、今ではその跡地も明確ではないが、伝説の寺として注目されている。錦木山観音寺縁起は『奥州狭郡錦木山観音寺縁起』と、菅江真澄の記した『けふのせばのの』所収の『錦木山観音寺由来記』の2本である。内容は大同小異で、いわゆる錦木塚の伝説を骨子とし、だんぶり長者の伝説とも関わりをもっている。内容そのものは後世に作られた創建縁起であるが、中世における錦木山観音寺の存在をうかがわせている。縁起では貞治元年(1362)に戦火で炎上し、それ以来再建もなく断絶したとされる。この観音寺の遺品といわれる茶釜と金銅仏1体が、小平の永久山円福寺に伝えられている。茶釜の製作年代は不明だが、金銅仏は高さ48センチの阿弥陀如来像で、「正安三年辛丑三月日佛願」の銘が刻まれている。正安3年(1301)は観音寺の焼失より61年前であり、その遺品の可能性はあるかもしれない。 円福寺の創建は永禄元年(1558)大円寺三世葉山宗奕和尚の開山である。貞治元年から永禄元年までの約200年間、この像はどこに安置されていたのであろうか。

* 大里観音堂

大里観音堂の古仏像は、現在大里の福用山大徳寺に安置されており、明治の神仏分離の際に難を遁れて大徳寺に移されたといわれる。この像は、高さ25.5センチ、幅7.5センチ、阿弥陀閻浮陀金像とされてきたが、地蔵菩薩であろうとの見解がある。鋼製で、金銅像であったとも云われ、作風から藤原時代のものと推定されている。銘がないのでどこで造られたかは不明だが、おそらく中央から運ばれてきたものであろう。この観音堂は小豆沢の大日堂と関係があり、大里の村人は産土神として崇め、近世は鹿角三十三観音札所二十番の観音寺(住吉寺)として数えられてきたが、神仏分離によってその地位を失なってしまった。

* 谷内観音堂

同様に三十三観音の十五番として、谷内の観音堂がある。ここも小豆沢大日堂と関係があり、五大尊舞に用いられる面を伝えてきた。神仏分離以前は大日堂の社人である大博士によって管理され、大博士の家には元和2年(1616)の南部藩主南部利直公の祭田安堵の墨印状が伝えられていた。元和元年の検地によると、この祭田は二十三石六斗五升七合であり、大日堂の社人の中で最も多くの祭田を有していたことになる。現在は天照皇御祖神社の社殿となっているが、元は現在地よりも山手の方に古い観音堂があったとも言われている。現在の境内地から鎌倉期の板碑、磨崖仏や五輪塔、宝筐印塔などの残欠が発見されている。

* 芦名沢観音堂

芦名沢の観音堂も、由諸ある十一面観音菩薩像を祭ることで知られている。特に馬産の盛んであった近年までは、県外からも広く信仰を集めていた。昭和初年まで境内に整えていた杉の大樹は、樹令千数百年に及ぶものと推定されていた。ここは早くから修験と関わりを持っていたと思われるが、やはり古記録、文書などが伝わっていないため不明な点が多い。縁起には慈覚大師により開かれたとあり、金光明寺、芦名寺、芦名明寺などの名称があったらしい。また慈覚大師によって岩窟に観音像が安置されたのが始めとされ、この岩窟は修験場であったと思われる。

このように、鹿角には早くから観音信仰があったと思われるが、古仏に乏しく、正確な記録も残っていない。しかし、間近にある浄法寺の天台寺、いわゆる桂清水観音のことを考え合わせると、ほとんど同時期に観音信仰が入ってきていたと推測される(鹿角市史)。

http://kaduno.in.coocan から




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