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精進料理

金曜日 2010年3月5日

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インドの初期仏教においては、部派仏教の律による十種肉禁を除いた三種の浄肉(見聞疑の三肉とも。この場合は僧侶が、殺された現場を見なかった動物の肉・僧侶本人のために殺されたと聞かなかった動物の肉・前記二つの疑いがない動物の肉)であれば食べることができ、釈迦も乳糜(牛乳で作った粥)の布施を受けて大悟したなど、乳製品の摂取も禁止されていなかった。現在でも、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスといった上座部(小乗)仏教圏においては、僧侶が三種の浄肉を口にすることが認められているため、菜食を基本とした精進料理は発達していない(精進料理という概念そのものは存在する。タイのジェー、ベトナムのコムチャイ等)。

これに対して大乗仏教では、後に肉食そのものが禁止されたため、中国、朝鮮、日本までの仏教文化圏では菜食料理が発達した。しかし、中国の精進料理では卵・乳製品などの使用が認められるケースもあり、基準は一定ではない。日本でも牛乳は「本来仔牛が飲むべきものなので使うのは殺生に当たる」という考えがあった。

なお、インドでは、ヒンドゥー教徒やジャイナ教徒にも不殺生として菜食を習慣とする人がいるが、精進料理は基本的に仏教と関係したものに限られる。

日本の精進料理

仏教が大陸から流入してきた頃からすでに精進料理は存在したと考えられるが、古代における「精進」という言葉は粗末なものという意味で用いられたもので、魚肉を禁じたとするのは仏教における解釈に過ぎないとする説もある(谷川士清『倭訓栞』)。また、神道の場合においては仏教よりも肉食への規制は緩かったものの、信仰する神とゆかりのある動物の肉は禁忌とされ、そうした肉のみを除外した料理も一種の精進料理であった(春日大社の鹿肉、八幡神社の鳥肉など)。

精進料理が本格的に発達したのは鎌倉時代以降とされる。鎌倉時代以降の禅宗の流入は、特に精進料理の発達に寄与した。平安時代までの日本料理は魚鳥を用いる反面、味が薄く調理後に調味料を用いて各自調製するなど、未発達な部分も多かった。それに比べて禅宗の精進料理は、菜食であるが、味がしっかりとしており、身体を酷使して塩分を欲する武士や庶民にも満足のいく濃度の味付けがなされていた。味噌やすり鉢といった調味料や調理器具、あるいは根菜類の煮しめといった調理技法は、日本料理そのものに取り入れられることになる。また、豆腐、氷(高野)豆腐(凍豆腐)、コンニャク、浜納豆(塩辛納豆ともいう)、ひじきといった食材も、精進料理の必須材料として持ち込まれたと考えられる。

禅宗のうち曹洞宗では、開祖の道元禅師が宋に仏教を学びに渡った時、阿育王山の老典座との出会いから、料理を含めて日常の行いそれ自体がすでに仏道の実践であるという弁道修行の本質を知ったことから、料理すること、食事を取ることは特に重要視されている。道元が帰国後書いたのが、『典座教訓』(てんぞきょうくん)と『赴粥飯法』(ふしゅくはんぽう)で、ここから永平寺流の精進料理が生まれたという。永平寺では料理を支度することが重要な修業のひとつであり、庫院(調理場)の責任者である典座は、重役の一員に数えられている。

江戸時代に入ると、明の衰亡に伴い、中国から禅宗のひとつである黄檗宗が伝来する。彼らが持ち込んだ当時の中国式の精進料理(いわゆる素菜)は「普茶料理」と呼ばれる。一つのテーブル(長方形の座卓)を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるというスタイルが非常に珍しがられた。料理も中国風のものが多く、「雲片」と呼ばれる野菜の炒め煮や、ごま豆腐、「もどき」料理(山芋の蒲焼など)などがある。炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めた。「普茶」とは「茶を普く」という意味であり、煎茶普及の一役を担った。

こうした普茶料理は、精進料理というよりは異国情緒を味わうものとして、黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など、民間でも広く嗜まれた。特に民間で行われた普茶料理は、長崎の卓袱料理とも影響し合い、テーブルクロスや貴重なガラス製のワイングラスや水差し、洋食器が用いられることもしばしばあった。江戸時代には『普茶料理抄』といった専門の料理書も著された。料理そのものは次第に日本化していったが、既存の精進料理にはない鮮やかさやにぎわいがあり、現在の普茶料理は、見た目が鮮やかな独特のものに進化している。

江戸時代には、料理屋でも寺院の下請けで仕出したり、仏教活動とは無関係に文人墨客向けに調製することが多くなっていた。京都大徳寺の精進料理は前者、飛騨高山の精進料理は後者の典型的なケースであり、いずれも分離していった懐石料理の手法を再び取り入れたりして、寺院のそれとはやや異なる風雅なものを生み出している。

精進料理はすでに記してきた通り、日本料理にも影響を与えて成長を促してきた。永平寺式の精進料理は、室町時代から江戸時代前期にかけて普及した本膳料理に通じる。また、懐石料理は精進料理から派生したものである。現在でこそ、(同音異義の会席料理との混同もあり)豪華なものとなっているが、当初は質素で季節の味を盛り込んだものであり、精進料理の精神が活かされたものであった。普茶料理は、中国料理の調理法が日本風にアレンジされながらも伝来し、けんちん汁、のっぺい汁、葛粉を利用した煮物や炒め物、揚げ煮といった料理や調理法が普及した。これら以外としては、点心の風習がある。これは室町時代に中国から伝わった風習で、軽食として饅頭・羊羹・うどん・素麺などが供された。当初は公家や武士が中心だったこの風習は、やがて庶民にも広がり、現在の昼食につながっていった。

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